登場人物・用語解説

アマリラ…カフェの名前。

京野修治…ウェイター。アンジェラカヲリのファン。一人称は「僕」。

小湊由美…カフェの店長。

佐倉香織…アイドル声優。芸名は「アンジェラカヲリ」。スターライト・エンタープライズ所属。

入沢健…離婚した京野の父親の第二子。X-records所属の歌手。佐倉の同期。

李有礼…スターライト・エンタープライズ所長。

小松崎夜斗(ないと)…スターライト・エンタープライズ所属の若手声優。

マルクロード高橋…X-recordsの所長。

クロすけ…猫

スターライト・エンタープライズ

下祗園

六角荘…京野と小松崎の住むシェアハウス。


[chapter:1 一回目のエイプリル・フール]

“アンジェラさん”は、いつも優しい。

 どんな人にも笑顔で対応するし、分かりやすい言葉で、落ち着いた口調で話す。

 服装も華美でなく、落ち着いていて、誰の目にも優しい色だ。

 困っている人がいればそっと手助けしたり、悲しんでいる人がいれば慰めることだってする。

 僕の働いているカフェ「アマリラ」は、とあるレコーディングスタジオの1階にある。4階建てのビルで、ほかにもタイ料理店やバレエ教室、声優事務所「スターライト・エンタープライズ」なんかが入っている。カフェの常連には、有名な声優もいるのだ。読み合わせをしたり、朝食を食べたり、休憩所代わりにしていたりしている。アンジェラさんもその一人だ。彼女はその名前で活動している。本名は知らない。一介のウェイターである僕が、知る筈もない。

「京野さん」

 彼女の透き通った美しい声が僕の名を呼んだ。それだけで、脳天を駆け抜けるような快感を感じた。ラジオ越しなんかより、ずっと素敵だ。

「ホットコーヒー、おかわりお願いしていいですか」

「分かりました」

「ありがとうございます」

「えー、じゃケッコンする気ないのー」

 きょうも、近所の子供の相手をしてあげていた。

 アンジェラさんは、子供のファンたちにも真摯に対応するのだ。だが子供の、容赦のない質問に、いつもとても戸惑っている。

 ――けど、彼女にだってきっと、ああいう時期がきっとあったのだろう。僕にもあったように。その時期の彼女を知らないのが、とても悔しい――いや、やめよう。これじゃあ、ストーカーだ。僕は決してストーカーではない。確かに彼女のいる事務所が近いから、このカフェで仕事をしているけど――

「ファンのみんなが大好きだし、作品が子供みたいなものだからねえ」

 彼女にコーヒーを持って行くと、女の子が言った。

「ね、京野さんは? イケメンだし、気が利くし、年も近いでしょ」

「へっ?」急に僕の名前が挙がり、まんざらでもなかったので、ドキリとしてしまった。

「ね、京野さん、アンジェラちゃんとケッコンする?」

「え――ええ、そうなったらとても嬉しいですけど…。」

「まぁ、そんな…。京野さんみたいな方は、とても私なんかじゃ…」

 出た――大人の「茶番」。

 だけど、大人は、相手を傷つけてはならない。

 もしかしたら、アンジェラさんは、同性愛者かもしれないし、何か大きな欠陥があるのかもしれない。

 だけど、それを受け入れてくれる人ばかりではない。だから、そのことに触れず、なおかつ相手を立てるために、「大人」は優しい振りをする。

 そして、社会は、平和を保っているのだ。

「するの、しないの、どっちなの?」

「オトナってどうしていつも、言葉を濁すんですかね」

「オトナだからだろ」

 子供たちが口々に言う。

 思いやりを、持っているからだよ――。

 子供は、みんな弱者だし、差と言っても大差はないから、まだ本音で語り合える。

 しかし大人になるにつれ、格差が増し、同じように話すだけで相手を傷つけたり、傷ついたりしていくことになるのだ――。

「あ、そだ、アンジェラちゃんの本名って何ていうの? あたしは坂井典子!」

「僕は高橋孝太郎です」

「あたしは中村利奈だよ。おねえさんは?」

「んー、内緒」

「えーなんでー! みんな自己紹介したのにー」

「名乗らないなんて失礼だー」

「じゃあ…耳貸して」

 アンジェラさんが、子供たちの耳元でじぶんの名前をささやく。

「えっ!? 龍之介…!?」

 内緒話にした甲斐なく、女の子が大声で叫んだ。

「まさか…アンジェラちゃんって…」

「元男…!?」

「ああ、そうなんだ…。みんなには内緒にしてくれよ…」

「そっか…なんか悪かったな、無理矢理聞いたりして」

「うん、あたし達ぜったい、言わないから!」

「大丈夫ですよ!」

 アンジェラさんが元男だろうと、僕は大丈夫だ。この感情に偽りはない。

「ありがとう…」

 と、そこまで神妙にしていたアンジェラさんの声が、とたんに明るくなった。

「なーんてね! ウソだよ! 今日は何の日か知ってる?」

「え? あっ!」

 エイプリル・フールかぁ~!

 子供たちが口をそろえて叫んだ。

「エイプリル・フールでした~!」

「だ、騙されたぁ~」

「もう、アンジェラちゃんは人が悪いなぁ~」

 皆が笑っていると、近くの教会から6時を告げる鐘が鳴った。

「あっ大変だ、もう6時だよ」

「あっやば、田中さんに怒られる。みんな行こ!」

「5名で1642円です」

「じゃーね、アンジェラちゃん! 今夜のゲキレンジャーも観るからね~!」

「ありがと~」

 騒がしい子供たちが居なくなると、店内はしんと静かになった。午後6時にこれだけ人が少ないのも、この喫茶店のケーキがあまり美味しくないことが理由なのだが…。

 僕とアンジェラさんはふと目を合わせ、「やれやれ」といった顔をお互いに示した。

「私も、お会計、お願いします」

「コーヒー2杯で、650円です」

 彼女はお金を千円札で支払って、僕はいつものようにお釣りを手渡した。

「ありがとうございました」

 僕が言ったその時、彼女が何か言った。

「――です」

「――え?」

「私の名前――"佐倉香織"です。いつも、『京野さん』って呼んでいるのに、なんだか不公平だから…」

「――あ、そんな、気になさらなくて、いいのに。あっ、僕は…京野修治と言います…ってどうでも良かったですね」

「――こちらこそ――忘れて下さいね」

「すてきなお名前ですね…香織さん…」

「修治さんも…美しい響きです」

 アンジェラさん――"香織"さんは、悪戯っぽく微笑んでから、店を後にした。

 ――いつもは、あんな風に笑わないのに。

 もしかして、今日が、エイプリル・フールだから…?

「香織――さん」

 名前を呟いただけで、胸が締めつけられる。彼女が居るだけで、それだけで僕の心は――全てを忘れてしまう。けど、僕はただのウェイターだ。この恋は、きっと叶うわけない。それでも、きょうは、エイプリル・フールだから。少しくらい、ばかになっても、いいよな…?[newpage]


[chapter:2 梅雨の憧れ]

 私の好きな人は、彼氏じゃない。元々そこまで好きではなかったけれど、腐れ縁で付き合い始めたのだ。”演技の参考になるかも”――そんな邪な想いもあったかも知れない。もちろん、本人には内緒だ。それから、ファンにも内緒だ。社長には、「一応、ファンには秘密にしてね。アイドル声優なんだし」と言われているし、そろそろ、別れを切り出したい。デビューした時に別れればよかったのだが、タイミングを逃してしまって、切り出せずにいる。

 京野修治さんは、下祗園のレコーディングスタジオ(ちなみに、このビルのオーナーと私の所属している事務所の社長は同じ)の地階のカフェ、「アマリラ」のウェイター。普段何をしている人なのか、彼女が居るのか、何も知らない。そもそも、フルネームだって、ついこの間知ったんだもの。

 けど私は、例え私に彼氏がいなかったとしても、行動に出るつもりはないの。だって私は”声優”だから。声優って、どうしても、世間からズレたイメージがある。オタクっぽいし、ジメジメしてて、引き籠ってるイメージ。ファンも変人ばっかりだったり(実際は、そんな事ないんだけど)。だから、いいの。私なんか、お呼びじゃないと思うし、絶対、ステキな彼女がもういるし。

「アンジェラちゃん、お誕生日おめでと~!」

 客席から歓声が沸く。今日はライブだ。私の誕生日にあわせて、毎年集まってくれる。今はそんな皆のために、心を込めて歌おう。私の恋人は、このファンたちだ。それでいい。

 楽屋には、沢山のプレゼントが届いていた。中にはとても高価な宝石などもあって、こんな高価なものをプレゼントできるような人も、好きでいてくれているという事がうれしかった。

 みんな、本当にありがとう。私はみんなのために、頑張るね。

 一人でプレッシャーを抱えるのが、辛くないと言えば嘘になる。もし、疲れたら――また、コーヒーを飲みに行こう。あの人になら、少しくらい甘えても大丈夫かも知れない。だって、いつも優しいから――。今日は、まだやっているかしら。誕生日だから――ひと目、会っておきたいなって思ったの。

 アマリラに入ると、驚いたことに、[[rb:健 > たける]]――私の彼氏がいた。どうして…? 私、このカフェのこと、何か話したっけ…? 注文を待つ間、トイレで待っていると、案の定、健も入ってきた。

「よっ」

「ど、どうしてここに…? お兄さんに会うって言ってたじゃない」

「ああ、ここは兄キが働いてる店だ」

「えっ!? それってまさか…」

「あの眼鏡の地味な奴だよ」

 どうやら京野さんが、健の腹違いのお兄さんらしい。共通の知り合いをきっかけに、最近やっと、連絡が取れたそうだ。言われてみれば、キリッとした顔立ちは似ている。

「お前こそ、ライブはどうした?」

「もう、終わったわ。ここのコーヒーは美味しいから…」

「そうか? さっきケーキ食ったけどゲロマズだったぜ」

「コーヒーはおいしいのよ」

「そんな事言って、まさか兄貴に惚れてんじゃねえだろうな?」

「まさか…」

 彼が無理矢理キスして来たので、私はされるがままに受けていた。待って、カギをかけてない――そう思った時ドアが開き、あろうことか京野さんが、モップを持って入って来た。

「あっ…し、失礼しました…じゃなくって、お客様。この店でそのようなことはお控え下さい。それと、もう閉店時間です」

「カタい事言うなよ、愛しの我がブラザー」

「駄目なものは駄目です」

 ――ああ、よりによって、京野さんにこんな所を見られるなんて。だけど、これでいい。無闇に争いは、生みたくないもの。

 閉店後。私は裏口で、京野さんが出てくるのを待った。ひとつ、言わなければならないことがあるから。黒猫がニャア、と私の足もとにやって来た。

「あら、クロすけじゃない。ここでもご飯をもらっているの?」

 彼(彼女かも)はこの町の野良猫。優しい人たちに食べさせてもらっているようだ。猫が住める町は、きっと平和だ。

 私はかがんで、クロすけと目を合わせた。それは近づいてきて、尻尾をピンと立てた。触れようとしたら、急に二足立ちしたので、びっくりしてよろけてしまう。それを京野さんが受け止めた。肘から、温かい手のぬくもりが伝わってきた。

「ご、ごめんなさい」

「クロすけですね」

「あなたも、クロすけって呼んでるんですか?」

「オーナーがそう呼んでました。…あの、何か忘れ物でも?」

「そうじゃないんです。あなたにひとつお願いがあって…2、3分、お時間ありますか?」

「あら修治、なーにその子、彼女?」

 ドアから女性が出てきてからかう。髪の長い、大人っぽい人だ。

「ち、違いますよ。」

「良いわよねーイケメンはさー彼女作り放題で」

「…あの、歩きながらのお話でもいいですか?」

「はい」

 私たちは、深夜11時を回った下祗園の町を歩いた。

「今日は降らなくて良かったですね」

「ええ、予報では降るって言ってましたけど」

「明日は晴れだとか」

「そのまま晴れが続くといいですね」

「そうですね」

 6月ではあるけれど、梅雨の合間であるからか、さすがに肌寒いな。そう思っていると、ポツリ、と雨が降り出す。慌てて傘を出そうとしたが、傘を忘れてしまった事に気付いた。

「あっ、どうしよう、傘が…」

「…僕ので良ければ、入りますか?」

「すみません…!」

 今日はツイてない。連日のリハーサルで、疲れているのかな。

「私、お邪魔だったんじゃないですか?」

「えっ?」

「さっきの方と一緒に帰られる予定だったのではないですか?」

「いやいや、大丈夫ですよ」

「すみません、京野さんっていつもお優しいから、困らせていないか心配で…」

「僕って、そんなに小心者に見えます?」

「そういうつもりじゃ…ごめんなさい」

「かまいませんよ。それで、お願いとは…」

「大したことではないのですが…弟さんと私の関係、内緒にしておいて欲しいんです。私、芸能関係の仕事をしているので――」

「ああ、そんな事ですか。お安い御用ですよ。」

「良かった、ありがとうございます。では私はこれで…」

「あっ、ちょっと待って下さい」

 京野さんは立ち止まると、私に紙袋を差し出した。

「前オーナーに聞いたんですけど、誕生日って6月ですよね? これ、僕が作ったケーキなのですが、良かったら」

「えっ、そんな、悪いです」

「いや、もらって下さい。作りすぎちゃったので。味は悪くないと思いますよ」

「ありがとうございます…」

「タクシー乗り場まで送りますよ」

「いえ、彼が車で待ってるので」

「では、そこまで送りましょう」

「ありがとうございます」

 高価なプレゼントも嬉しい。元気をくれるから。

 だけど、京野さんからのプレゼントは…甘くて、柔らかくて、あったかくなって、とても幸せになる。

「なんだか本当にお兄さんみたい」

「…やっぱり、健君の方がいいですか?」

「えっ?」

「あ、いえ、弟は幸せ者だな~って」

「…ありがとうございます」

 ああ、どうか永遠にこのままで居られますように…。あわよくば、私の義理のお兄さんになってもらえたら、すごく嬉しいな、なんて、さっきまで、あんなに別れようと思っていたのに、私もひどい女だわ。[newpage]


[chapter:3 クリスマス、本当に?]

 小さい頃から、要領だけは良かった。

 見た目もかなり可愛いし、話術もあった。何よりみんなが頼りにしてくれたって言うのは、あるかも知れない。だから昔から何でも任されてきたし、一人で全部こなしてきた。

 叔父の店を継いで、もう4年になる。いや、まだ4年にしかなっていない。経営は既に赤字で、現実の厳しさを思い知らされている所だ。

 だからだろうか。今まで男なんか全然興味なかったのに、最近なんだかすごく恋しい。

 京野修治とは、幼稚園からの付き合いだ。私のほうが2年上。家が近くて、私のワガママに付き合ってくれる優しい人が彼くらいしかいなかったから、そのままずっと付き合いを続けてる。私がカフェを始めた時も、ウェイターのバイトを引き受けてくれてる。朝早くから夜遅くまで、本当に助かってる。

 好き、だと思う。だけど同時に怖くもあった。全てを見透かされそうなほど、アイツは聡明だったから。だからあたしの気持ちにもとっくに気付いてると思う。それでも何もしてこないのは――きっと――そういう事。

「えっ、いま何て…」

「だから、クビだって言ったの。もうお給料払えないから」

 ある昼下がりに、ついに私は京野に言った。

「この店、一人じゃ回せませんよ」

「契約期間まではやる。そしたらもう畳むわ」

「なら、それまでは居ます」

「もう払えないって言ってるでしょ。明日からは一人で接客するから。ちなみにタダ働きさせるとあたしが捕まるからね」

「…分かりました」

「これ作ったのお前?」

 翌日はクリスマスイブだった。思い上がった男に早速クレームを付けられた。

「金返せよ」

 あたしのケーキ、そんなに不味いの? 叔父さんだって美味しいって言ってくれた。パパだってママだって、みんな美味しいって言ってくれたわ。

「アンタの舌がおかしいんじゃないの?」

「こんなマズいモン出しといてよく言えるな。こんな店とっとと畳んで田舎に帰れよ」

 頭にきて、皿を何枚も割った。

 ほんとは、分かってる。

 あたしはあたしが考えてるよりダメな人間みたい。やっと分かったの。私の周りのみんな、嘘つきだったんだって。私はただ、騙されてただけなんだって。私の人生って、一体何だったんだろ。なんで私だけ、こんな辛い思いをしなきゃいけないの…?

「ニャア」クロすけが窓越しに話しかけてくる。

「近づいちゃダメよ。危ないから」

 猫はいいな。あんなにわがままなのに、ただ可愛いってだけで人間に可愛がってもらえる。あたしも、猫くらい可愛かったらよかったのに。

「あのー…大丈夫ですか?」

 お皿を片付けていた手を止めて見上げると、京野ではない、見知らぬ青年が立っていた。

「邪魔なんだけど」

「手伝います」

 そう言って彼は素手で、割れた皿を掴み始めた。

「ちょっと、お客さんにそんな事させられないわ」

「ほんの少しだけですから」

 ほかの客は、知らんぷりだ。と言っても、3組しかいないが。

「…なんで手伝うのよ」

「だって…泣いてるから…」

 あたしは息をのんだ。あたしには、優しいってどういうことか分からない。助けてくれる人なんかいなかった。いつもあたしが頼られてた。小さい頃から料理だって作ってた。助けることも、助けられることも、よく分からない…。

 だけどこのとき、京野といるときみたいな、ほっとする気持ちになった。思わず、愚痴りたくなる。黙ってることができない性分なのよ。

「あーあ、クリスマスだって言うのにホント何やってんだろ。お金はないし、ケーキも作れないし、彼氏もできないし」

「彼氏、居ないんですか。良かったら僕なりましょうか」

「えっ?」

「冗談ですよ。すみません、不謹慎でした…」

 そいつはきまりの悪そうな顔をしてうつむいた。

 冗談…? ヘンなヤツ。

 なんかもう、クリスマスも、店もどうでも良くなってきちゃった。 [newpage]


[chapter:4 義理で隠して]

「同居してんのか!?」

「そうだよー。一緒にお風呂入ったりもするもんねー♪」

「たまにですよ」

「そ、そんな…犯罪だろ?」

「犯罪じゃないよ? だってボク、男だもん」

「えっ、男!? このチビがか!?」

 健と呼ばれた人が、驚いている。このビルのオーナー、[[rb:李 > り]] [[rb:有礼 > ありのり]]は、少女のように見えるが立派な成人男性で、声優事務所以外にも、不動産斡旋やカウンセリング業など様々な企業を経営しており、ちなみに僕と京野の同居人でもある。

「言っとくけど、僕、チビじゃないよ。君の背が高すぎるだけだろう。それに、チビにチビって言ったらダメだよ」

「男ならなんでメイド服なんか着てんだ」

「かわいーから❤ 似合ってるでしょ?」

「・・・・・・・・・まぁ・・・・・。」

「できたわ! 今度こそ美味しいはず!」

 僕らがスカートを持ってヒラヒラクルクルと回る李さんを見ていると、小湊さんが、大きなガトーショコラを持ってきて、ドンと僕の目の前に置いた。

「食べて」

 今日は、「アマリラ」の定休日なのだが、小湊さんに呼ばれた。京野もいて、ニコニコと笑っていた。どうやら今日は「店長オペラ品評会」らしい。ちなみにオペラというのは、チョコレートを使ったケーキのことだ。

「いや、こんなに食べられないです」

「食えよ」

「いえホント、こういうために手伝ったワケではないので」

「ヒトが泣いてるトコ見てタダで帰れると思うなよ」

「これ刑罰の類いですか!?」

 恐る恐るひと口食べた僕に、すかさず小湊さんが感想を求めてくる。

「どう? 美味しい?」

 この期待を込めた眼差しに、つい人は嘘を吐いてしまうのだろう。

「苦っ」

「何だと!? あたしのオペラが食えねえって言うのか!」

「す、すみません!」

 怒るなら、品評会の意味がないじゃないか…。

「由美さん、しばらくは僕がケーキを作りますよ。その間に、また勉強し直したらいいじゃないですか」

「なんで店長のあたしよりウェイターのアンタの方が上手いわけ…」

「今きっと調子が悪いだけですって。叔父さんからせっかく受け継いだお店なんですから、もう少し頑張ってみましょうよ」

「とか言って常連の女の子狙いだろ」

「え!? や、やだなあもう…」

 すると、教会から6時を知らせる鐘が鳴った。稽古の時間だ。

「あ、そろそろ帰らないと」

「え? 彼女いないくせにいやに早いわね。観たいテレビでもあんの?」

「明日、収録なんですよ」

「収録? アンタ、テレビ局の人?」

「声優です。地下にスタジオあるじゃないですか」

「彼、いつも家で遅くまで練習してますよ」

 僕は声優としてはまだまだ駆け出しで、いつもみんなの足を引っ張っている。だから、少しでも頑張らないといけないんだ。

 他に小湊さんの作ったガトーショコラ(オペラ?)を少し包んでもらって(って、小湊さんが勝手に包んでただけだけど)、僕はカフェを後にした。ほんのりとした心地よさに、後ろ髪を引かれる。袋の中のケーキの箱を一瞥し、クリスマスの夜のことを思い出した。

 ――僕なら、きっと諦めるだろう。

 下手とか、面と向かって言われたら、分かってはいてもやっぱり落ち込むし、きっと二度と立ち直れない。言う方にとっては何て事なくても、言われた方にとってはたまらないのだ。

 だから、何を言われても堂々と怒れる彼女を見ていると、ちょっと尊敬するし、心を締めつけている焦りとか不安が少しなくなって、ラクになれるんだ。そして気が付いたら、彼女を手伝ってた。

 (ケーキを食べる時間くらいは、サボってもいいかな。)

 にやつきながら外に出ると、佐倉先輩が、カフェの外で待っていた。俺と目が合うと、ばつが悪そうな顔をする。

 誰か待ってるのかな?

「先輩…何してるんですか?」

「あっ、あの…京野さん、いる?」

「いますよ。呼んできましょうか?」

「いっいやっ、い、いいの、いるかどうか聞いただけっ」

 なんだか、いつもの余裕のある先輩とは様子が違う。そもそもこんな所でつっ立ってたら、ファンの誰かに見つかるんじゃないだろうか?

 京野に用があるのなら、何もこんな所で待たなくても…人に聞かれたくないことなのかな?

 そこではたと思いだした。今日がバレンタインデーだということを。

 そう言えば、今年は佐倉先輩がチョコを配っているところを見ていない。配るのをやめたのかと思ったけど…。

 俺は帰るふりをして、少しだけ近くの建物の影で様子を伺うことにした。決して先輩のプライベートを覗き見しようとか、興味津々とか、そんなことはない。一切ない。

 京野が出てきた。外に先輩がいることに気付いたのだろう。

 何か話している。先輩はやはり様子がおかしい。出すか? いや、やはり考えすぎ――ほら、出した!

「みんなに配ってるの」なんて、大きな声で言っているのも聞こえてくる。

 ――配ってない。彼女にとって、渡すのは一人だけだ。それを知ってるのは、彼女一人だけ。彼女一人のなかで、バレンタインを遂行しているんだ。

 いや、一人だけではないかも? もしかしたら俺だけが渡されていないという可能性も…でも、先輩のあんな真剣な顔、初めて見た。

「良いなぁ…」

 もう、覗き見はやめよう。それで、後で京野に感想でも聞こうかな?

 恋は人を嘘つきにさせるって言うけど…天使も堕としてしまうとは、京野修治、恐るべし…。

 そこではっと気づく。

「待てよ、バレンタインって…」

――好きな人に、チョコレートを贈る日。

 自分の持っている袋を見る。

「…まさか、ね」

熱に浮かされながら、ふらふらと岐路に着く。今更意識しても、その真意はもう分からないのだった…。

 [newpage]


[chapter:5 季節、めぐりて]

「最近、つけられてる気がするんです」

 相談がある、と言われ、閉店後にカフェのスタッフで佐倉さんの話を聞いていた。小湊さんと、なぜか同席している小松崎が、ちらりと僕を見た。「僕じゃない!」と、ジェスチャーで伝える。確かに僕は佐倉さんの使っているヘアマニキュアの種類まで知っているが、それはストーキングから得た情報ではない。公式の情報なのだ。もちろん家だって知らない。方角なら、いや、番地まではさすがに分からない。きっとおしゃれなマンションなんだろう、とか想像するだけで我慢している。これがどれだけ忍耐の要ることか。もしストーカーがいるのなら、ファンの矜持を思い知らせてやらねばなるまい。表立っては温和に笑いながら、サイフォンを持つ手に力が入った。

「それは大変だ」

「商売敵の可能性もあるんだよね」

 李さんが言った。

「先輩は入沢さんに『X-records(エックスレコーズ)』に誘われてるんだ」

 話によると、スターライト・エンタープライズとX-recordsはちょうと仕事を取り合う関係にあるらしい。”スタライ”はファンを大切にする事務所、X-recordsは売り上げを大切にする事務所。方向性の違いからアンジェラさんはずっと断っているらしいのだが、最近いよいよ嫌がらせじみてきているという。

「僕が弟に言っておいてあげましょうか?」

「助かります。あと…」

「はい?」

 言いにくそうに口をつぐむ彼女に、僕は心配になって急かしてしまう。

「その。…入沢さんからしばらく、私を匿ってもらえませんか?」


「…どうしてこうなった」

 僕らのシェアハウス、六角荘。

 いつもは僕、小松崎、そしてたまにオーナーの李さんの三人で囲むテーブルに、場違いな天使が一人いる。薄汚いボロ家が、急に教会に変わってしまったかのようだ。ここを聖域に認定しなくては。

「まぁ、こんなにたくさんいただいて、良いんですか?」

「もちろんです。女性のお口に合うか分かりませんが…」

 そう言って僕は野菜炒めを取り分ける。

 もちろん、佐倉さんがここを選んだのは、李さんが所有する物件だからである。それ以上の他意はない。頼られたなんて思ってはならない。絶対に。それでも、どうしてもいつもの10倍は気を張ってしまう。緊張と、周囲への警戒と、あと、佐倉さんのポスターだらけの自室を何としても見られてはならないという緊迫感などで。

 そんな僕の緊張をよそに、彼女は天使のような笑みを浮かべている。

 彼女は幸せそうに、野菜炒めを頬張った。こんなときまで、笑顔である。

 ――この笑みが、僕だけのものになったらいいのにな。 

 ふと、そんな邪な邪念がよぎり、懸命に首を横に振った。いかんいかん。これじゃ、ストーカーと同じ思考回路だ。 

「ここなら、オレもいますし、京野も信用できる奴ですし、部屋も開いてますから、安心して泊まってってください。オーナー李さんも来れなくて残念って言ってました」

「ありがとう、花房くん」

「それで、『つけられてる』って、具体的にどんな感じなんです?」

 僕がそう尋ねると、佐倉さんはぽつぽつと話し始めた。逃げても逃げても、後をつけてくる人がいると言うこと、ときどき、郵便物を送ったと言われて届いていないときがあると言うこと、そして、ドアノブに白くべたつく何かが付着していたりすること…。

「李さんはなんて言ってるの?」

「早急に引っ越すべきだって。事務所の女子タレントは私だけだから、そのために寮を作るわけにもいかないし、もっとセキュリティのしっかりしたところを探してくれるって」

「じゃあ、それまではここに住んだらいいですよ。ねっ、京野さん」

「えっ」

 それって、いつまで? まさか、一週間も二週間も彼女と同居なんて、さすがに身がもたない。

「ホ…ホテルのほうが安全じゃないかな…?」

「京野…まさか、先輩と住むのが嫌とか?」

「えっでっでも、大丈夫なんですかね、噂とか…」

「ここはシェアハウスではあっても、一応あのビルと同じオーナーのものだし、スタライの寮ってことになってるから、問題はないと思うよ」

 そうだ。確かにここは李さんの不動産で、スタライの寮…と言っても小松崎が住んでいるだけだが、寮の「予定」なのだ。むしろこの場合、場違いなのは小松崎にホイホイのせられて同居している僕の方である。とは言えまさか佐倉さんと小松崎を二人きりで住まわせるわけには絶対にいかない。

「それにいっそ、シェアハウスに住んでることを開き直っちゃえばいいと思うの」

「それって…つまり?」

「ここでの生活を配信しようと思って」

「は?」

 やべ、声に出てた。

「あっ、京野さんは映らないようにしますから…」

「京野は家政夫ってことにしとけば?」

「何、勝手に話進めてるんですか!?」

 ここでの生活を配信? 僕が家政夫?

 いや、家政夫になる事に異議はないが、そうなっては僕は「ファン」ではいられなくなってしまうじゃないか!

 そのあとに、もしファンである事がバレたら? 僕こそストーカーとして、捕まってしまう! そうしたらもう二度と、佐倉さんに口をきいてもらえなくなる…。

「どうした? 青い顔して」

「ごめんなさい。先走りすぎました…」

 彼女がうつむいて謝る。とんでもない。一番わがままを言っているのは僕だ。

 僕は慌てて首を振る。そうだ。僕に彼女への好意があるからいけないんだ。好意さえなければ、丸く収まるんだ。

 ――隠し通せばいいだけのこと。

 今までと同じだ。

 絶対に、悟られてはならない。

 そんなの、いつもやっている事じゃないか。

 「オトナ」なんだ。わきまえられる。

 これは仕事なんだ。公私を混同してはならない――。

「いえ、突然の事で理解が追い付かなかったんですが、僕に異論はありませんよ」

「やったぁ、では、これからよろしくお願いしますね!」

 ああ、神様。

 どうか彼女を傷つける輩を、すべて殺してください。

 たとえその中に、僕が入ったとしても。

「お疲れ様。ドミトリーの用意できたよ」

 彼女と同居して3日。超スピードで、李さんは部屋の用意を整えた。

 まだ慣れないまま、あっという間に過ぎてしまった。もう、彼女が吐いた息が部屋に充満することも、それを思い切り吸うこともできないと思うと、ちょっぴり寂しい。そして特に問題も起きずに過ごせたことに感謝。

 引っ越しにさらに1日掛かったが、それでも引っ越しシーズンにしては割安なところに頼むことができたらしい。

 僕と小松崎と李さんでぞろぞろと新居に向かう。さながら姫を守る護衛騎士のようだった(一人、まるで姫みたいな服を着た成人男性は混じっていたが…)。

 外は春うららといった陽気で、何のためにこんなことになっているのかすら、一瞬忘れてしまうほど暖かだった。

「ここまでで大丈夫です」

 佐倉さんはロビーで踵を返す。

「また困ったことがあったら、すぐに言うんだよ。きみはうちで最大で唯一の売れっ子なんだから」

「お褒めに預かり光栄です。これからもこのご恩を返すべく、精進します」

 李さんが、娘でも見るような目で優しく笑った。

 ――李さんって、独身だよな?

 この二人の仲は、単なる雇用主とタレントの域を超えている気がする。僕はそう直感した。

 世の中にはプロデューサーとアイドルの恋愛なんて言うものがごまんとあるし、まさか、まさかまさか――

「京野さん? 聞いてます?」

 ふいに彼女に名を呼ばれ、僕は自分がぼんやりしていた事に気が付いた。

 気付けばもう別れの挨拶も終わり、小松崎と李さんは外に出てしまっていた。

「あっ、なんでしょう?」

 僕が、何か用があって残ったと思ったのかな。実際は、妄想に嫉妬していただけなんて、口が裂けても言えないが。

「うち、寄って行きます? 何かお礼をさせてください。おいしいもの、たくさんご馳走になっちゃいましたから」

 天使の囁きに、身がこわばる。

「ま、まさか」

 咄嗟に口に出てから、後悔した。これじゃ拒否しているみたいじゃないか。

「も、もちろん、お邪魔したいのは山々ですが、噂になっては大変でしょう」

「…良いですよ」

 え?

 聞き取れなかった。僕は間抜けな顔で問い返す。

「京野さんとなら…噂になっても、良いですよ」

 彼女の頬は、この陽気のせいで、いつもの2倍くらい赤かった。

 僕の頭の中はいつもの10割増しで真っ白だった。返事に――主に、YESと言うのを必死で堪えようとしているのに苦戦していると、ふいに彼女はクスリと笑った。

「ふふふ、冗談です。今日はエイプリルフールですよ」

「ああ、何だ。びっくりした」

「本当に?」

「しましたよ」

 ふふふ、と笑ってから、彼女はぺこりとお辞儀をして、玄関へ向かっていった。途中、くるりと振り返って、

「お礼、考えておいてくださいね」

 と言うのも忘れずに。

 ――僕は考えを改めねばならないかもしれない。もしかしたら、彼女は悪魔なのかも――天使の顔をした、悪魔なのかもしれないと。

 耳まで赤く染まった僕には、帰りの会話なんてまったく耳に入ってこなかった。


 ――強引すぎた、かな。

 顔を真っ赤にした佐倉が、足早に階段を上る。

 ――"冗談です。今日はエイプリルフールですよ"

 嘘、じゃない。

 あなたが、優しいから。

 だけどその優しさが、憎い時もある。

 優しくしてほしいんじゃないの。

 私を見て欲しいの。

 だけど私は、あなたに釣り合う資格はないから。

 だから、「私」は――嘘しかつけない。

 私がふうと溜め息をついて部屋のドアを開ける。鍵はかかっていなかった。

「――? 鍵、かけなかったっけ」

 引っ越し業者が、かけ忘れたのかな?

 そう思って部屋の中に入ると――。

「ここがあんたの新しい部屋か」

 聞き覚えのある声がして、ふり返る。

 そこには、入沢君がいた。

「――入沢君? ど…どうして?」

 足が、がくがくと震える。

 修治さん。助けて、修治さん。

 私は無意識に頭の中で彼の名を呼んでいた。

「勘違いするなよ。ストーカーは俺じゃねえ。んなキモい事はしねえ。今日来たのは、話をするためだ」

「話…って?」

「――俺達の事さ」

 入沢くんは煙草をくわえたまま、ため息をついた。


[chapter:6 秋のご褒美]

「あっ」

 ある秋の夜。収録が終わってスタジオから上がって来ると、仕事を終えた小湊さんとはち合わせた。

 小湊さんを見るだけで、胸が高鳴る。もう秋も終わるというのに、彼女は半袖のシャツ一枚だった。寒くないのだろうか?

 気持ちを悟られないように、ぎこちなく挨拶する。

「お、お疲れさまで~す」

「ねえ今度またケーキ食べに来てよ。あれからかなり上達したのよ」

「え? ホントですか?」

「何でそんなに驚くのよ?」

「ス、スミマセン」

「定休日はいつも練習してるから」

「凄いですね」

「もうメレンゲはマスターしたわ。パンケーキは泡立てすぎないのがコツで…ねぇ、ちょっと、大丈夫?」

「あっ、すみません。ちょっと寝不足で」

 何日も寝ずに台詞の練習をしていたせいで、収録が終わってから疲れが出てしまったらしい。僕はよろけて壁にもたれてしまった。

「無茶しないでよ。今日はもう早く寝なさい」

「ハハハ、なんだかお母さんみたいですね」

「誰が年増だ! へくちっ」

「す、スミマセン! そうだ、これ」

「何よ」

 僕は着ていたジャケットを脱ぎ、小湊さんに手渡す。

「そんな恰好じゃ、風邪引きますよ」

「余計なお世話よ」

「す、すみません…」

 小湊さんにはああ言われたけど、休んでなんかいられない。もう少しだけ頑張ろう。僕は、落ちこぼれなんだから、人の何倍も努力しなければ、ついて行けないんだ。

「あ、佐倉先輩! オリコンチャート8位、おめでとうございます!」

「ありがとう」

 ある日の収録後、同じ事務所の先輩の”アンジェラ”こと佐倉先輩に挨拶した。彼女は同人上がりの声優で、そのときのホームネームをそのまま使っている。天性の声質で多くのファンを獲得している。事務所の稼ぎ頭だ。ちなみに、僕のハウスメイト、京野修治の好きな人でもある。

「小松崎くん、最近どう? ちゃんと休まなきゃ、ダメだよ」

「…分かってます」

「なら良し。そうだ、良かったら今度、お話できないかなぁ」

 彼女はこうして定期的に、事務所の後輩と”お話”をするのだ。それは、「相談に乗るよ」と直接言うと遠慮されてしまうからで、要するに、相談に乗ってくれるのだ。時に足りない部分の指導をしてくれたりもする。ファンもたくさんいるし、実力もあり、そして後輩想いの、本当に「天使」のような人だと思う。当然、僕だって恋い焦がれることもあるが、さすがに高嶺の花だ。

「さあ、できたわ。食べて」

 ある水曜日。アマリラを訪ねた僕を、小湊さんが出迎えた。今日はアマリラへ行くと言ったら、修治の奴、気を利かせて今日はアマリラへは行かないと言った。緊張するので、逆に二人きりにしないでほしいのだが…。

 僕がプリンをスプーンでひと口食べる。前のようなぱさつきはないようだ。

「あっ、美味しいですよ」

「そうでしょうよ。これでプリンはクリアね。」

 僕は彼女が料理本とにらめっこしながら、ウンウンとうなっている所を眺めていた。細かい仕事は、苦手のようだ。それでも、「覚えちゃえばこっちのもんよ」と息巻いている。と言うか今まで、ろくに勉強もせずに、お店を始めたらしい。そりゃあ、お客は来ないわけだ。

「にしてもさぁ、声優なんて、凄くない? 普通、なかなかなれないでしょ」

「そんな、僕なんか全然ダメで…」

「あのねー、人が褒めてんだから素直に受け取りなさいよ」

「す、すみません。」

「今日は…、何で来てくれたの?」彼女が声を小さくして聞いた。

「え、何でって…えっと…時間が…あったから?」

「何それ! ばかにしてんの!?」

「い、いや、もちろん来たいんですけど、仕事とか、稽古とかあって…」

「あんたさ、稽古し過ぎなんじゃないの? こないだ、寝てないって言ってたじゃん。寝ないでまで稽古するなんて、病的だよ」

「…僕もそう思います。だから佐倉先輩も、休めって。僕の家、両親ともに芸能人なんです。兄も…。しかもみんな、すごくレベルが高くて…僕、落ちこぼれなんです。僕もがんばらなきゃ、でないと、置いていかれる、って思うと、不安でどのみち眠れないんですよ」

 そうだ、僕はおかしい…このままでは、長生きできない。分かってはいるけど、どこからともなくやって来る焦燥感が、僕を苦しめるのだ。

「ねえ、そろそろ、マカロンにも挑戦してみようと思ってんだ」

「マカロン? それもお菓子ですか?」

「そう、最高難易度のお菓子よ。上手く作れたら食べさせてあげるわ。…ねえ、また来てくれる?」

 小湊さんといる時、僕はすごく安心する。ずっとこのままでいたいと思うくらいに。だけど、向こうはどう思っているんだろう? 僕のこと、「ヘンな奴」とか、「男のくせに、軟弱なヤツ」とか、思われてるんじゃないだろうか。

「もちろん」

「ほんとに? 良かった」

 彼女が、安堵した表情を見せた。胸がきゅっとしめつけられるのを感じる。

 ――こんな顔、初めて見た。

 僕のこと――少なからず、あてにしてくれてるのかな。

 期待しちゃっても、良いのかな…。

「大丈夫? 小松崎くん」

「は、はい」

 佐倉先輩との「個人授業」の日。上の空になっていた僕を、先輩が心配してくれた。

「やっぱり、調子悪い? 今度にしようか」

「いや、違うんです。今ちょっと別の事考えてて」

「そう? それなら良いけど…腹筋だけじゃなくて、背筋もした方がいいよって話は、聞いてた?」

「聞いてました。あの、先輩はイの[[rb:口 > くち]]ってどうやってます?」

「イの口?」

「はい、母音の…。養成所ではウと同じ形って言われたんですけど、どうしても上手く発声できなくて」

「えっ? 私口の形意識した事ないや」

「ええ??」

「そっか、養成所ってそういう事もやるんだね。私も養成所行こうかなあ」

「いや、先輩は完璧ですから行く必要ないですよ」

 練習していないのに、出来るのか、この人。恐ろしい人だ…。

「力になれなくてゴメン…でも、そんな事まで考えて演ってるなんて、やっぱり小松崎君はスゴイなあ」

「えっ? そんな事ないですよ」

「凄いよ。前から思ってたけど、小松崎君って、”努力の天才”だよね」

「…そんな風に言われたの、初めてです」

 先輩に、褒められた。

 それって、自信を持って良い、ってこと?

 もしかしたら先輩は、イの口のことも、滑舌のことも、きっと全部知っているのかも知れない。

 だけど、僕に自信を持たせるために、嘘をついているのかもしれないな。それでも…先輩のその気持ちが嬉しい、と思った。

「明日、オーディションだね。今日はしっかり休んで、悔いのないようにね」

「…はい!」

 オーディションの結果は、合格だった。初めての主役だった。

「小湊さん! 僕、今度のアニメの主役のオーディションに受かってしまいました!」

「フーン」

 僕たちはふたたび、アマリラで、小湊さんと「二人ケーキ品評会」をしていた。その「自分以外には興味ありません」みたいな態度…素敵です…

「じゃあ、ご褒美に彼氏にしてあげよっか」

「フェ!?」

「あら前、言ってたじゃない。彼氏になりたいって」

「あ…あれは…その…”僕も彼女いないんで落ち込まないでください”的な意味で」

「何よ!? あたしじゃダメなの!?」

「そ、そうじゃないですけど、その…資格があるのかなって」

「え? あたしに彼女になる資格?」

「違います、逆ですって」

「男っぽいのは、あたし一人で充分なのよ。あんたが手伝ってくれたとき…、嬉しかった。そんだけ」

 彼女の頬が火照り、耳が赤くなってた。

 もう冬の入り口だと言うのに、まだ半袖でいる。寒いのかな。それとも、別の理由で…?

「あ、大丈夫? また寝てないの?」

「いや、違います、嬉しさで目まいが………」

「ホント、アンタって、軟弱ねー」

 また彼女が笑う。

 彼女の笑顔に励まされ、僕は彼女を助ける。

 僕たち、支え合えたら、無敵かも知れないね。[newpage]

[chapter:7 嘘が、つけない]

 瞬く間に、一年が経った。

 「お礼」のことなんて、すっかり

「お洒落なお店ですね」

「一度、来てみたかったんです。でも、男二人で来ると何かと…ねえ」

「ふふ、確かに、勘繰られてしまいそうですね」

 “一人で行きづらいお店があるので付いて来てほしい”。それが、僕が望んだ「お礼」だった。つまりデートのお誘いである。でも彼女にしてみれば、お礼以外の何物でもない。店内はうす暗く、レトロな雰囲気を再現していた。言わば「大人のテーマパーク」のようなものだろう。洒落た店と言うよりは、何かのコラボカフェと言ったほうがいいくらい、店内には雰囲気がある。

「健さんは…」

「彼とは別れたんです」

「えっ!?」

 思わず大きな声を出してしまった。

「またまた。今日はエイプリルフール…」

「彼、私を移籍させようとしていて。私は、”スターライト”から移籍する気はないの。李さんは、私の恩人だから」

 香織さんは、自分の過去のことを話してくれた。言葉の暴力やネグレクトを受けて、家出したこと。行政機関は、証拠不十分で保護してくれなかったこと。オーディションに落ちたけれど、李さんに拾われて、タダで住み処を貸してくれたこと。彼女の人生を、僕は初めて知り、共有した。心が、その嬉しさと、そして憐憫で満たされ、僕はなぜか、酔いが回ってしまったかのように、クラクラした。

 僕たちは、踊り、飲み、喋り、そして食事をする。生まれて、生きて、こんなに楽しいひと時を僕が過ごせるとは、思いもよらなかった。きっと、人生で一番楽しい時間だろう。

「いま、私が、全部『嘘でした』と言っても、あなたは笑って許してくれます?」

「嘘だったんですか? とてもリアルに聞こえましたけど」

「…嘘じゃ、ないです。…ただ、重すぎるから、みんな、嘘だと思いたがる。めんどくさがって」

「嘘にしないで」

 僕と彼女だけの世界。くるくると回って、踊り続けた。

「僕にだけは、嘘にしなくていい。全部、受け止めるから」

「…京野、さん…」

 彼女の目から、一粒の雫が零れたのが見えた。

「天使の涙が見れたんだ、僕は一生幸運かな」

「私、天使なんかじゃないですよ。ただの恵まれない女の子です」

「天使ですよ。ほら、こんなにも美しい」

 人差し指で涙袋をなぞると、彼女は人が変わったみたいに笑った。

「なんちゃって。嘘ですよ、京野さん」

「え? どこまでが?」

「ナイショです」

 彼女は口に指を当て、今までの涙が嘘のように明るく笑った。

 タクシーを降り、下祗園の駅に着いても、僕はまだ、余韻が抜け切らなかった。また明日から、僕たちは、ウェイターとその客、アイドルとそのファンでしかない。

「楽しかったですか?」香織さんが訊いた。

「ええ、とても」

「楽しんでもらえて良かった。どんな所がいいかって考えちゃった」

「あなたへのお礼なんですから、そんなに気を遣わなくてもいいのに」

「でも…せっかくなら、お互いに楽しみたいじゃないですか?」

「あなたと一緒なら、どこでも楽しいですよ」

「…またそんな、お上手ですね。騙されませんよ、今日は四月一日じゃないですか」

 遠くで、0時の鐘が鳴るのが聞こえた。

「…僕は本気ですよ」

 香織さんがはっとして、僕を見つめる。

「…京野さん。もう、エイプリルフールは、過ぎましたよ」

「…本当は、ずっと好きでした。ラジオで聞いた時から。貴女の優しさ、教養の深さの虜でした。白状します。あなたを追って、あのカフェにいました。僕はただの、”ガチ恋オタク”です…軽蔑します、よね」

 一分前なら笑って誤魔化せた言葉が、今はただ彼女に重たくのし掛かっている。

 言わなければ永遠に、彼女と「大人同士の付き合い」で居られただろう。だけど、これでもう本当にただの、”アイドルとただのファン”だ。

 彼女はきっと、「ごめんなさい」と云うだろう。そして天使の微笑みで、「これからも応援して下さい」と――

「――私も、嘘じゃないです。あなたが好き」

 香織さんは、切なげな瞳で、僕を見上げた。僕もはっとして、彼女を見つめる。

「私も、あなたの優しさが――ずっと前から、好きでした」

「本当ですか? 嘘ではなくて?」

「嘘ではないですよ、もう、京野さん、しつこい」

――”嘘”は、時に人を救い、時に生き残る術となる、なくてはならないものだ。また、明日から――僕はあなたの好きな僕になる。だから、明日から、あなたも僕の好きなあなたでいて欲しい。だけど――嘘と本音の入り混じる、この黄昏時だけ――本当の『本音』を、話させて欲しい。弱い自分で、居させて欲しい。あなたに、触れさせて欲しい、ねえ、いいかな? 僕の「天使」さん――。[newpage]

[chapter:8エピローグ]

[[rb:入沢 > いりさわ]] 健が突然飛び出して、車に轢かれそうな僕を助けたのは、五月下旬のことだった。奴ら、とうとう僕まで狙い出したらしい。

「助かったよ、ありがとう」

「猫が…」

「え?」

「お前んとこの猫がうるせぇから相手してやってたら、たまたまお前がいただけだ。運が良かったな」

「運だけは良くてね、昔から。だからこうして、やっていけてる」

「俺にも分けてほしいもんだ」

 彼は煙草に火をつけて吸い始め、咳払いをする。

「煙草は体に悪いよ。電子タバコにしたらどうだい」

「そんなパチモン、使えるかよ。」

旅に出ようと思ってさ。自分探しみたいなやつよ」

「その年で」

「正確にゃ、”限界探し”だな。色々やってみて、無理なら、相応の配慮をしてくれる奴を探す」

「なるほど、平和な社会というジグソーのピースになる覚悟が出来たんだね。」

彼の発言に僕が笑うと、足元のクロすけが尻尾を振りだした。退屈しているのだろうか。入沢も退屈してきたようだ。膝を叩いてから、言った。

「じゃ、行くわ。ああ、引き抜きのことはもう心配しなくていい。俺が話をつけた」

「話をつけたって? 買収でもしたの?」

「ま、分配の割合をちっといじっただけだ」

 入沢は仰々しく立ち上がり、暇を取ろうとした。

「入沢君。所属事務所はスターライト・エンタープライズという道もあるのだから、考えておいてね」

 僕は、眉を下げて言う。これは本気の提案だ。

「こんな弱小事務所、こっちから願い下げだぜ」

「知ってるよ、君の性格は業界から嫌われてるって」

「救いの神にでもなったつもりか? チビの癖に」

「チビじゃないよ。それに、チビにチビって言ったらいけないよ」

「へいへい、分かったよ、カミサマに説教してもらえるなんて、俺も随分運がいいぜ」

 ――電子タバコは悪くないらしいよ。

 僕が云うと片手を振って、彼は旅立った。この後、結局彼はスターライト・エンタープライズに所属すること、小湊由美は僕らの仕事を手伝い、演出家として名を馳せることになること、そして京野は僕の代わりにスターライト・エンタープライズの社長に就任し、僕は本格的に執筆業に専念することなどは、この頃の僕らはまだ、知る由もなかった。

 まあ、僕らの旅の顛末は、また別の機会に譲るとして、ひとまずこの短い季節をめぐる物語の幕を下ろそう。

 大丈夫、僕らならきっと、どんな困難にも立ち向かって行けるさ。

 

<fin>