幼少期の過度なストレスとその対処法から始まる各種パーソナリティ障害について

 青葉真司の初公判が始まりました。
 事件からまだ3年しか経っておらず、犯行動機もまだ明瞭に覚えているでしょう。
 彼が「パーソナリティ障害」であることは明らかだと思いますが、パーソナリティ障害には幾つか種類があることをご存じでしょうか。

 沢山ありますが、今回は青葉被告と絡めたものだけ。

 私は彼の報道を見ていて気になったのが、「真司は小さい頃は可愛いらしい、元気で活発な子だった。友達も作ることもできていた。家事を手伝って、得意げに自慢してくれることもあった」と言う文章と、「他の人のせいにする性格も元夫譲りだと思った」と言う記述、そして「上りのエスカレーター」と言う表現です。

 青葉容疑者が「自己愛性パーソナリティ障害」である事は恐らく誰もが感づいている事でしょう。彼は幼少期は活発であり、比較的幸せであった事が予想されます。つまり彼は、生まれた時は上りのエスカレーターに乗っていたのです。その時の感覚が忘れられない。それが犯行動機としては一番大きいと思います。彼は事あるごとに「こんなに優しくしてもらったのは生まれて初めてだ」と言いますが、恐らく違います。幼少期は愛されていたのです。彼はその台詞を言うことで周りから同情を貰えることを分かっている。小説家とはそういう生き物だから。

 その後、子供心に多大なストレスを受けることになったことは確かです。これについては、情状酌量の余地があって然りだと思います。と言っても減刑するという意味ではありませんが、誰にでも起こりうることであるという点では彼に非はないということです。死刑にする必要はないと私は思いますよ。

 子供はとても弱いです。自分で抱えきれないほどのストレスが掛かった場合、色々な病気が現れます。有名なのは「解離性同一性障害」ではないでしょうか。haruさんという発達障害かつトランスジェンダーで幼少期からストレスを受け続けた結果、解離性同一性障害になった方をご存じの方もいらっしゃると思います。
 ほかにも色々なストレス回避方法と言うものがあります。「自殺」もそのひとつです。ryuchellさんが自殺したのも記憶に新しいですよね。彼女もトランスジェンダーと、親の離婚によるストレスを抱えていました。彼女の発言の端々で、子供時代の辛さを伺わせる記述が見られます。自殺は、ストレスから逃避する方法としては最も確実かつ安易な方法としてよく取り入れられます。世間から袋叩きに遭った結果、辛うじて保っていた糸が切れてしまったのでしょう。ryuchellさんはとても周りに気を遣う人でした。だから自分の命を絶つ以外に道がなかったのでしょう。
 青葉被告も同じことを言っていましたね。「さっさと死んでくれということか」と。青葉被告も、苦しみ、悲しみを受け止める方法がなかった。彼は責任を転嫁し、責めることでメンタルを保っていたわけです。そうでなければ解離性同一性障害など、ほかの病気になっていたでしょう。彼なりの防衛であることは間違いないのです。もちろんそのために他者を傷つけることは、罰せられるべきことだと思います。だが彼の心から望んだことではない。それはみなさんもお分かりのことと思います。なぜ彼が他者を傷つけるようになったかと言えば、父親の虐待を真似ているのです。また、「他の人のせいにする性格も元夫譲りだと思った」という母親の発言。これは母親自身もまた息子の凶行を父親のせいにしています。そもそも、父親が親権を持つと言うのはなかなか珍しいことです。何をもって父親に親権が渡ったのか。青葉容疑者の母親こそ、青葉容疑者に愛を与えなかった諸悪の根源ではないかと私は思います。そして、彼女だけが生き残っているということに私は恐ろしさを感じています。
 そしてもうひとつの逃避、それが「小説」です。青葉容疑者は小説に依存しました。小説家になるという未来を描くことでストレスを封じ込めていたのです。それが、落選、そして「パクり」――これは統合失調症の妄想もあったと思いますが――を受け、その怒り、苦しみを己の愛する「京アニ」に向けるしかなかった。なぜ自分は落ちこぼれ、彼らはのうのうとアニメを作っていられるのか。その怒りを放火でもって解決する以外に方法がなかったのです。このように、何かに「依存」することで辛うじて正気を保つこともまったく珍しいことではありません。そしてその「夢」が叶う可能性がある限りは頑張れるのです。しかしその夢はほとんどの場合、叶いません。依存症には他にもパチンコ、ゲーム、アルコール、セックス、中には学習依存症と言うものもあります。勉強して「良い点」を取ることでストレスから逃避している人の事です。しかし、社会に出ると「勉強」と言うものはありませんから、彼らもまた再びストレスに出会うことになります。また、やせ依存とも言われる「摂食障害」も依存症のひとつです。

 多少依存することは悪いことではありません。しかしそれは本当の意味で救われているわけではない。たいていの場合、依存したものが崩壊したときに大きなストレスとなります。その前にほかの幸せを掴むことが治療になるわけですが、青葉容疑者には小説以外に幸せと呼べるものがなかったのでしょう。そして、なぜ自分がストレスを抱えることになったのか、自問自答する必要があります。もちろん、貧乏のせい、いじめのせい、虐待のせい、色々あると思います。過剰な幸せを望んでいるわけではありません。もし青葉容疑者に妻がいて、仕事もしていて、それでもなお小説にこだわっていたのならば、それは裁かれて当然の完全悪と言われるかもしれません。でも、そうではない。彼の「幸せ」の総量は確かに一般より足りない。それは間違いなく、社会のセーフティネットの問題であり、彼自身がその罪を全て背負う必要があるのでしょうか?悪いのは青葉容疑者だけではなく、この社会そのものではないでしょうか?
 社会のセーフティネットが機能せず、辛い思いをして生きている人が沢山いることは事実です。彼らは、上述のように、解離性同一性障害になったり、自殺したり、依存症になったりしながら生きています。青葉容疑者の行動も防衛機能のひとつであることは間違いありません。もちろん完全無罪ではなく、そこに他害的なパーソナリティがあることは間違いありませんが。でも、これは、人間なら誰でも起こりうることだということを、皆さんも薄々感じていることではないでしょうか。そして彼らを生んだのは日本そのものなのだという意識をもって、一人一人がこの事件を教訓にしていかなければならないと思っています。

 幸いなことに、LGBTや発達障害については少しずつ制度が整ってきました。
 では、虐待はどうなのか。国は子育てを応援しなさすぎる。ryuchellさんが叩かれたのも、子育てを放棄し(ているように見え)たからです。まだ、子育てという分野は、「母親」だけがその負担を背負いすぎているように思えます。そして全てが親の責任となり、自由になり過ぎている。だから出生率も下がるのではないでしょうか?
 なぜ、もっと、子育てを補助するサービス、保育所などが増えないのでしょうか?どうして日本は家族に介入しないのでしょうか?なぜ、小児精神科がもっと発達しないのでしょうか?
 かく言う私もいじめで小児精神科に掛かり、異常なしと診断され摂食障害となり30代まで寝たきりだった身です。日本の子供は放置され過ぎている。私はそう思います。

 実は私の従姉も統合失調症です。そして母も、叔母も、祖母も妄想癖や被害妄想があります。統合失調症とは遺伝する病です。そして母方の一家は強いパーソナリティ障害もあります。青葉被告の家庭は、どこか私の母方の家庭を彷彿とさせます(母も五人姉弟でした)。福岡と言う強い封建・男尊女卑社会で母や叔母が受けたストレスもまた相当なものであったと私は考えています。私は青葉被告にとても親近感を持っています。なぜなら私も脚本家になることだけを生き甲斐にしていた時期があるからです(結局、摂食障害になり、脚本を書く元気がなくなり諦めましたが)

 幸い私は、中学校で恩師と呼ぶほどではありませんが個性を尊重してもらい、伸ばしてもらうことができました。また、父は私の自由をある程度尊重してくれたし、手を上げることもありませんでした。当時の記憶があったからこそ、どんなに辛いときも正気を保っていられたんだと思っています。青葉被告には、そのような人がいなかったのでしょうか。なぜ、いなかったのでしょうか。私は発達障害と診断された時、周りに助けてくれる人がいませんでした。デイケアに通うように勧められましたが、当時の私は摂食障害でほとんど寝たきり状態で、とてもじゃないが病院に通う元気はありませんでした。青葉被告はなぜデイケアに通わなかったのでしょうか。私の従姉も病識がなく、つい最近叔母の通報で移送を受けたばかりです。青葉被告も病識がなかったのでしょう。そしてそれを通報してくれる人もいなかった。病識のない人や、私のようにデイケアに通う力もない人。そんな人の居場所が必要ではないか。それは自助会であり、サークルであり、生活訓練や生活支援であり、就労継続支援事業所であると思います。私も、発達障害と診断された当初、市の保健センターに相談に行きましたが、彼らはそういった制度を紹介することはありませんでした。福祉制度は、存在を知り、自分から利用したいと言わなければ教えてもらえない仕組みになっており、福祉事業で働く人々はそれが当たり前だと考えています。
「少しでも我々の力を借りずに何とかして欲しい」という公務員の思いは分かります。だから私はこれからの人生を、福祉サービスの知名度を向上させることに使いたいと思っているのです。知らなければ利用できない。もし知っていれば、悲劇を食い止める事ができると思うのです。制度は作っただけではダメなのです。必要としている人に届ける仕事をしたいと私は最近思うようになりました。
 では、そのために私が出来ることは何か。考えたのは、福祉サービスや事業所を紹介するwebマガジンです。まずは私の地元を中心に、福祉事業所や自助会などを取材し、インターネットに掲載します。そうすることで、福祉サービスや精神疾患への透明性を上げることで、滝山病院のように、精神障害者への虐待の抑止力とすることも狙います。

 何度も書いている通り、日本の精神医療の未熟さには驚かされるものがあります。医師は心理のことは何もわからず、依存も 

実際にうつ病の患者さんが多いことや、抗うつ薬を売りたい製薬会社側のマーケティングの影響が大きいと思いますが、それはともかく、患者さんの自己診断に乗っかって医師としての思考を停止する精神科医が解離性障害をうつ病と誤診するのは問題でしょう。

今一つ、精神科医や心療内科医の側のもう少し根深い問題があります。うつ病は抗うつ薬で治療できるけど、解離性障害は特効薬がない(本当はそんな簡単なことではないのですが)、という事情もからんできます。一般に医師は、自分の得意なフィールドを「専門」として、境界分野の診療を怠る傾向があります。解離症状はありふれた症状であるにもかかわらず、精神療法・カウンセリング・環境調整が必要になることが多いので、そういうことが不得意で薬物療法一本槍の医師はどうしても無意識に自分の得意分野であるうつ病や統合失調症の診断に引き入れてしまいます。
https://www.dr-mizutani.jp/dr_blog/dissociative-disorder/

そもそも、10分診察しただけで精神病を診断するなんて言うのが、人工知能じゃあるまいし、土台無理な話なのです。

 ストレスを引き金とする精神疾患は、パーソナリティと深い関係があります。パーソナリティは解離性同一性障害などの重い病気にならない限り、医学の分野の外にあり、カウンセリングは保険適用ではない為、どうしても治療が自己責任になってしまいます。だからこそ、犯罪や自傷、そしてさらなる精神疾患へと繋がる前の「セーフティネット」を強化する必要があると考えています。親は無条件で子供を愛するはずなのに、大人になると急に現実に打ちのめされてしまう。現代の子供はますます精神が脆いと言われています。大人になったとき、病んでしまうのは果たして親のせいでしょうか、ライトノベルのせいでしょうか、それとも日本が冷たすぎるせいでしょうか。時代は日々進歩し、いずれ人工知能が仕事を全て奪うと言われています。その未来で必要になるのは何でしょうか。それは心の栄養かもしれません。私は、パーソナリティ障害と言うものは、「治すべきもの」ではないと考えています。目には目、愛には愛を、といったように、本人のパーソナリティを尊重しつつ、ストレスのない範囲でゆっくりと平均に近づけていくことが大切なのだと思います。それ以外の治療に効果があるとは私は思いません。

 私は結局、摂食障害から「潰瘍性大腸炎」になり、そこでやっと世間に認められました。しかし世界には、苦しみを認めてもらえることがないまま死んでいく人もたくさんいます。セックス依存症の人がHIVに感染したとして、一体誰が憐れんでくれると言うのでしょう?青葉被告が死刑になったら、青葉被告は一体誰に怒りをぶつければ良いのでしょう?彼らの苦しみや恨みに、世間が聞く耳を持つことは永遠にあり得ないのでしょうか。世間を変えたいとは言いません。それでも、彼らがその選択をしないために、私に出来ることがあるのならば、私はそれを惜しみたくないと思っています。

漢方薬の大切さ

 大学生の時にちょっと依存症気味になって不摂生をして以来謎の不定愁訴に悩んでいて困っていたのですが、その原因の根本はやはりビタミン不足だったと最近気付いて、改めてビタミンの大切さを痛感しました。
 内科を受診した際に漢方薬を処方されたのですが「漢方なんてどうせ効かない…」と思って飲まないでいたのですが、漢方薬にはさまざまなビタミンが含まれているのですから、やはり真面目に飲んでいればよかったなと後悔しています。
 ただ内科医自身もなぜその漢方が効くのか分かっていない様子で、「とりあえず出しておきましょう」みたいな感じだったから信頼できていなかったのもありますけれど。
 皆さんも内科でとりあえず出された漢方は、少なくとも3年は飲み続けてみると良いと思います。飲まないよりは全然いいです。

これごろとまじゃね?

10年頃より謎の不定愁訴に悩まされていて、