赤い薔薇
中学の頃の同級生からメッセージが届いた。
頭のおかしいやつで、ずっとニートをして暮らしているクズだ。
そのメッセージには「リーキーガット症候群」「副腎疲労症候群」「SIFO」などと病名が並べ立てられていたが、消化器科の父に聞いたところ「そんな病気は存在しない」ということだった。
つまりこいつは嘘つきで、やる気がなくて、甘ったれのクズ野郎で、相手をする価値もないのだ。
私の家は小さい頃から厳しく、あいつの家のように好きなことをできる家風ではない。引きこもれる家があるだけ羨ましいと言うものだ。もし私にそれが許されるのなら、あいつのように何の稼ぎもなく遊び耽らず、相応にデビューし、しっかりアーティストとして稼いで見せるのに。なんにせよ、あいつはせっかくのチャンスをモノにできない腹の立つ人間なのだ。
「発達障害」だと書いてあったが、あいつは成績優秀で生徒会長までやった奴だ。発達障害なんかのはずがないだろう。
私は私で毎日の仕事と、空いた時間の趣味で忙しいのだ。こんな奴に構っている暇は一秒もない。
はずなのに、なぜ私はこの男と二人でディズニーランドなぞに来ているのか?
答えは簡単だ。私みたいなお堅い人間と二人でディズニーランドに来たがる男はいない。だが、私は本当はこういうものが大好きである。だから…だから、つい誘いに乗ってしまったのだ。
「ふふ、礒沼さん、可愛いですね」
無理矢理カチューシャを付けられてそう言われ。私の顔は真っ赤になっていることだろう。
「こんなところ、職場の人にでも見られたら死ぬ」
「大丈夫、ここには知り合いはいませんよ」
なぜこの男が私の好みを知っているのかも分からないし、なぜ私を誘ったのかも分からないが、とにかくこの時間は不快ではない。むしろ、夢のような時間であった。
(何か壺とか売りつけられたりしないだろうな…)
私は恐る恐る切り出すことにした。
「それで…今日は何の用だったんです?」
「え?」
「お金はないし、何も買う気はないですよ」
それとも、男女の関係でも期待してる? それも、一夜限りの。
私たちもいい年だ。その可能性はゆうにあり得る、と思った。むしろ、久々に女友達を誘う目的って、それしかないだろう。
「あー…そうですね…礒沼さんのお父さんって、消化器科の先生ですよね?」
「そうです」
「あの…良かったら健康相談に乗ってもらえないかなって」
「前も言いましたけど、そういったことは主治医に相談して下さい。あとから難癖付けられても困りますので」
「じゃあ、なんで今日来たの?あなたはずいぶん楽しそうに見えたけど。そのお礼にちょっと話くらい聞いてあげるだけだと思えば良いじゃない」
「…私、責任とか持てませんからね?あと、他言無用でお願いします。後々問題になりたくないので」
「礒沼さんはぼくを何だと思ってるのかなあ。そんな信用ないですか」
ないですよ。
私は無言でそう言いたげに見つめたが、彼は気付かないまま、鞄から1冊の本を取り出した。
それは新書で、『発達障害は食事で治る!』と書いてある。
「これ、差し上げますから読んで下さい。それで、医療関係者から見た感想を伺いたくて」
「これは?貴方が書いたんですか?」
「だからあなたはぼくを何だと思ってるの?僕はそんな大層なことはしません。ただちょっと困っているひとりの患者なだけです」
私は本を受け取る。
「この本の内容はまだ医学界に浸透していないらしくて、賛否両論と言われているみたいなんです。でも、素人には何が正しいのか分からないし、インターネットの情報も信用できないから。あなたしか頼れる人がいなくて。だから、お願いします」
そう言われると、こちらも断りづらくなってくる。
「あ、ねえ、グーフィーと記念撮影できるみたいです。行きましょう」
「あっ、ちょっ…もう、仕方ないなぁ」
でも今はとりあえず、この時間を楽しみたい。
+++
本の内容は大体こんな感じだった。世界には「発達障害」という障害があり、それは腸の慢性疾患を引き起こしやすい。そして腸の疾患から免疫が低下し、アレルギー症状が起き、そのせいで「コルチゾール欠乏状態」になる人がいる。そうなると機能性低血糖や月経困難症など、原因不明の不調に悩まされる。それを治すためには、ビタミンDやビタミンB、そして低糖質食が大切であるという話だった。
(——つまり、彼はこの病気とずっと一人で戦ってきたという事?)
私はずっと彼のことを誤解していたのかもしれない。
「読みました」
次の休日。私は彼に本を返しながら伝えた。
「読みましたか?ありがとうございます。それで、どうでした?」
「大変興味深い内容でした。恐縮ながら、不勉強でして、真偽の程は分かりかねます」
「そうですか。いえ、読んでいただけただけ、僕は嬉しいです」
彼は本をしまった。
「これでもずいぶん良くなったんです。いま、仕事を探していて、なにか僕でもできる仕事、知りませんか?」
「ないですね」
「家政婦とか雇う気ありません?両親ともに要支援、要介護で、もうお金がないんです。頼れるのはあなたしかいなくて…」
ここで、「生活保護でも受けとけば?じゃあ、さよなら」と言えるほど、私は鬼じゃない。
とくにこんな可愛いお店に連れて来てもらっておいて、そんなことは言えない。かと言って紹介できる仕事がないのも事実だった。
「礒沼さん」
彼の声で顔を上げる。彼の見せたスマホには、私の裏垢が表示されていた。
「これ、あなたですよね」
「………っ!」
かああああっと、顔が熱くなる。
私がコスプレしていることは、親姉弟も知らないのに、なぜこいつが知ってるのか?
「…なにが目的です?」
「いえ、目的なんて特にありませんよ。でも、もし良かったら、また僕とこうして遊んでもらえませんか。僕、礒沼さんと友達になりたいんです。改めて。だめですか?」
「………えっ、と」
「大丈夫。このことは誰にも言いません。僕、友達いないんですよ。ね?お願いします」
この時私はあろうことか、この男ならあの服を着た私のことを褒めてくれるのではないかという、ある種の劣情が過ってしまう。
この男を利用しても良いんじゃないかという、そんな自分の思惑に気付いて、私は背筋が凍った。
+++
「わぁ…すごく可愛いです。童話に出てくる魔法使いみたいです」
次の休日、私は思い切って可愛らしい恰好をしてみた。とまよこは何でも褒めてくれる。分かっているけど確かめてみたくて、実際褒められると電撃を浴びたように嬉しくなってしまった。
(写真を見られるのと、生で見られるのとじゃこんなに違うのね…)
彼の視線を浴びるたびに、自分の体の敏感な部分まで見られている気がして、思わず浮き足立ってしまう。
今日は彼の家に来ているのだ。
もちろん、「そういう目的」なんかじゃない。あくまでも作業療法士として、彼の自律神経などの状態をチェックしてあげるだけである。
彼の部屋はガランとしていた。本棚も何もなく、ただクローゼットと机があるだけだ。
「じゃあ、うつ伏せになってください」
言われた通り、彼はベッドにうつ伏せになった。
私は神経と筋肉の様子を探る。確かにガチガチに固くなっており、こんなに固い人は見たことがないくらいだった。
「ガチガチに固くなってますね」
「あ…はい」
「ここ、感じますか?」
「えっと…は、はい」
「もしかして緊張してる?力抜いて良いのよ」
「………っ」
ちょっと悪戯心が沸き、彼の腰を擽る。すると「ひっ」という声とともに体が跳ねた。
「い、礒沼さん、真面目にやってくださいよぉ」
「あら、ごめんなさい。そんなに嫌だった?」
「………嫌じゃ………ない……から困るんですよ」
「え?」
「礒沼さんって、彼氏いるんですか」
「………彼氏はいませんが、好きな人ならいますよ」
彼の顔はよく見えなかったが、きっと赤くなっているに違いない。
「そう…ですよね。すみません、変なこと聞いて」
「………いえ。じゃ、前も診るので仰向けになって下さい」
「は、はい…」
私はそのまま何も言わなかった。
結局向こうからは指一本触れられぬまま、その日は別れた。
+++
それからと言うもの、彼からのメッセージが来ていないか常に気にするようになってしまった。
一日に少なくても3回は確認してしまう。
「また会いたい」という思いがぐるぐると頭を巡る。
(どうしよう、こんなこと初めてだ。どうしたら良いのか分からない………)
寝ても覚めても、仕事中も考えてしまう。今まで恋と言うものを避けてきたぶん、その反動は大きかった。
(我慢できない…もっと見て欲しい。もっと一緒にいたい)
気付けばまた彼の家の前に来ていた。
無理矢理上がり込みたいくらいの気持ちを抑えてチャイムを鳴らす。
彼はいつもの優しい笑顔で出迎えてくれた。
「礒沼さん…?」
「ごめん、迷惑だった?」
「と、とんでもない。さあ、上がってください」
+++
「今度、お見合いすることになったの」
お茶を飲む彼の手が止まる。
「…あ、それは、おめでとうございます」
「まだ結婚が決まった訳じゃないから」
「もしかして、行きたくないんですか?」
「………」
「何だったら僕、彼氏のふりでもしましょうか?」
違う。そうじゃない。
そこまで言っておいて、なんでその先を言ってくれないのよとじれったくなる。
「じゃあ、お願いしようかな」
「やった!ご両親にご挨拶の準備をしないと」
「…ねぇ」
私は低い声で尋ねた。
「私のこと、好き?」
「……えっと」
「恋愛的な意味で好きでしょう?」
「は、はい」
「じゃあ、なんで付き合ってくれって言わないの?」
「だ、だって、礒沼さんは僕のことが嫌いだから………」
彼はしょんぼりと項垂れた。
確かに、前は嫌いだった。クソ野郎だと思ってたし、嫉妬していた。
けどいつの間にか頭から離れなくなって、会えば会ったで嬉しさでどうにかなりそうになる。
そのうえ、こんな顔を見せられたら、私だって有頂天にもなる。
「じゃあ、私と結婚するのは嫌?」
「えっ、け、結婚ですか!?」
「あなたとならしてあげてもいいけど?」
「え、えええ!?」
「何よ。嬉しくないの?」
「う、嬉しいと言うか、頭の処理が追いついてないです」
「ふーん。嬉しくないんだ」
「嬉しいです!!!嬉しくてどうにかなりそうです!」
彼は立ち上がって私の肩を掴んだ。
「ねえ、りゃんシー。今日の下着、どんなの履いてるか見たい?」
「………っ!!!」
「見たくないの?」
「そ、そのまえに結婚しませんか!?ほ、ほかの人に、そういうこと言わないでほしいから………!」
彼が真剣な目で見つめてくる。
燃え上がった恋心は、もう誰にも止められなかった。
「ダメよ」
「ど、どうして?」
「ここ、ガチガチに固くなってるもの」
こうして彼の永年雇用先が決まった。
礒沼は実はチョロいという設定(ツンチョロ
これBLでもいけるんちゃうかな 女装趣味にすれば
ただ、男らしい女が内面全然違ったみたいな百合はおいしいのでそこをもっとかくかも
あと体調良くなったら私はお払い箱なの?という話を
[chapter:211114 booth]
[chapter:1 一回目のエイプリル・フール]
“アンジェラさん”は、いつも優しい。
どんな人にも笑顔で対応するし、分かりやすい言葉で、落ち着いた口調で話す。
服装も華美でなく、落ち着いていて、誰の目にも優しい色だ。
困っている人がいればそっと手助けしたり、悲しんでいる人がいれば慰めることだってする。
僕の働いているカフェ「アマリラ」は、とあるレコーディングスタジオの1階にある。4階建てのビルで、ほかにもタイ料理店やバレエ教室、声優事務所「スターライト・エンタープライズ」なんかが入っている。カフェの常連には、有名な声優もいるのだ。読み合わせをしたり、朝食を食べたり、休憩所代わりにしていたりしている。アンジェラさんもその一人だ。彼女はその名前で活動している。本名は知らない。一介のウェイターである僕が、知る筈もない。
「京野さん」
彼女の透き通った美しい声が僕の名を呼んだ。それだけで、脳天を駆け抜けるような快感を感じた。ラジオ越しなんかより、ずっと素敵だ。
「ホットコーヒー、おかわりお願いしていいですか」
「分かりました」
「ありがとうございます」
「えー、じゃケッコンする気ないのー」
きょうも、近所の子供の相手をしてあげていた。
アンジェラさんは、子供のファンたちにも真摯に対応するのだ。だが子供の、容赦のない質問に、いつもとても戸惑っている。
――けど、彼女にだってきっと、ああいう時期がきっとあったのだろう。僕にもあったように。その時期の彼女を知らないのが、とても悔しい――いや、やめよう。これじゃあ、ストーカーだ。僕は決してストーカーではない。確かに彼女のいる事務所が近いから、このカフェで仕事をしているけど――
「ファンのみんなが大好きだし、作品が子供みたいなものだからねえ」
彼女にコーヒーを持って行くと、女の子が言った。
「ね、京野さんは? イケメンだし、気が利くし、年も近いでしょ」
「へっ?」急に僕の名前が挙がり、まんざらでもなかったので、ドキリとしてしまった。
「ね、京野さん、アンジェラちゃんとケッコンする?」
「え――ええ、そうなったらとても嬉しいですけど…。」
「まぁ、そんな…。京野さんみたいな方は、とても私なんかじゃ…」
出た――大人の「茶番」。
だけど、大人は、相手を傷つけてはならない。
もしかしたら、アンジェラさんは、同性愛者かもしれないし、何か大きな欠陥があるのかもしれない。
だけど、それを受け入れてくれる人ばかりではない。だから、そのことに触れず、なおかつ相手を立てるために、「大人」は優しい振りをする。
そして、社会は、平和を保っているのだ。
「するの、しないの、どっちなの?」
「オトナってどうしていつも、言葉を濁すんですかね」
「オトナだからだろ」
子供たちが口々に言う。
思いやりを、持っているからだよ――。
子供は、みんな弱者だし、差と言っても大差はないから、まだ本音で語り合える。
しかし大人になるにつれ、格差が増し、同じように話すだけで相手を傷つけたり、傷ついたりしていくことになるのだ――。
「あ、そだ、アンジェラちゃんの本名って何ていうの? あたしは坂井典子!」
「僕は高橋孝太郎です」
「あたしは中村利奈だよ。おねえさんは?」
「んー、内緒」
「えーなんでー! みんな自己紹介したのにー」
「名乗らないなんて失礼だー」
「じゃあ…耳貸して」
アンジェラさんが、子供たちの耳元でじぶんの名前をささやく。
「えっ!? 龍之介…!?」
内緒話にした甲斐なく、女の子が大声で叫んだ。
「まさか…アンジェラちゃんって…」
「元男…!?」
「ああ、そうなんだ…。みんなには内緒にしてくれよ…」
「そっか…なんか悪かったな、無理矢理聞いたりして」
「うん、あたし達ぜったい、言わないから!」
「大丈夫ですよ!」
アンジェラさんが元男だろうと、僕は大丈夫だ。この感情に偽りはない。
「ありがとう…」
と、そこまで神妙にしていたアンジェラさんの声が、とたんに明るくなった。
「なーんてね! ウソだよ! 今日は何の日か知ってる?」
「え? あっ!」
エイプリル・フールかぁ~!
子供たちが口をそろえて叫んだ。
「エイプリル・フールでした~!」
「だ、騙されたぁ~」
「もう、アンジェラちゃんは人が悪いなぁ~」
皆が笑っていると、近くの教会から6時を告げる鐘が鳴った。
「あっ大変だ、もう6時だよ」
「あっやば、田中さんに怒られる。みんな行こ!」
「5名で1642円です」
「じゃーね、アンジェラちゃん! 今夜のゲキレンジャーも観るからね~!」
「ありがと~」
騒がしい子供たちが居なくなると、店内はしんと静かになった。午後6時にこれだけ人が少ないのも、この喫茶店のケーキがあまり美味しくないことが理由なのだが…。
僕とアンジェラさんはふと目を合わせ、「やれやれ」といった顔をお互いに示した。
「私も、お会計、お願いします」
「コーヒー2杯で、650円です」
彼女はお金を千円札で支払って、僕はいつものようにお釣りを手渡した。
「ありがとうございました」
僕が言ったその時、彼女が何か言った。
「――です」
「――え?」
「私の名前――"佐倉香織"です。いつも、『京野さん』って呼んでいるのに、なんだか不公平だから…」
「――あ、そんな、気になさらなくて、いいのに。あっ、僕は…京野修治と言います…ってどうでも良かったですね」
「――こちらこそ――忘れて下さいね」
「すてきなお名前ですね…香織さん…」
「修治さんも…美しい響きです」
アンジェラさん――"香織"さんは、悪戯っぽく微笑んでから、店を後にした。
――いつもは、あんな風に笑わないのに。
もしかして、今日が、エイプリル・フールだから…?
「香織――さん」
名前を呟いただけで、胸が締めつけられる。彼女が居るだけで、それだけで僕の心は――全てを忘れてしまう。けど、僕はただのウェイターだ。この恋は、きっと叶うわけない。それでも、きょうは、エイプリル・フールだから。少しくらい、ばかになっても、いいよな…?[newpage]
[chapter:2 梅雨の憧れ]
私の好きな人は、彼氏じゃない。元々そこまで好きではなかったけれど、腐れ縁で付き合い始めたのだ。”演技の参考になるかも”――そんな邪な想いもあったかも知れない。もちろん、本人には内緒だ。それから、ファンにも内緒だ。社長には、「一応、ファンには秘密にしてね。アイドル声優なんだし」と言われているし、そろそろ、別れを切り出したい。デビューした時に別れればよかったのだが、タイミングを逃してしまって、切り出せずにいる。
京野修治さんは、下祗園のレコーディングスタジオ(ちなみに、このビルのオーナーと私の所属している事務所の社長は同じ)の地階のカフェ、「アマリラ」のウェイター。普段何をしている人なのか、彼女が居るのか、何も知らない。そもそも、フルネームだって、ついこの間知ったんだもの。
けど私は、例え私に彼氏がいなかったとしても、行動に出るつもりはないの。だって私は”声優”だから。声優って、どうしても、世間からズレたイメージがある。オタクっぽいし、ジメジメしてて、引き籠ってるイメージ。ファンも変人ばっかりだったり(実際は、そんな事ないんだけど)。だから、いいの。私なんか、お呼びじゃないと思うし、絶対、ステキな彼女がもういるし。
「アンジェラちゃん、お誕生日おめでと~!」
客席から歓声が沸く。今日はライブだ。私の誕生日にあわせて、毎年集まってくれる。今はそんな皆のために、心を込めて歌おう。私の恋人は、このファンたちだ。それでいい。
楽屋には、沢山のプレゼントが届いていた。中にはとても高価な宝石などもあって、こんな高価なものをプレゼントできるような人も、好きでいてくれているという事がうれしかった。
みんな、本当にありがとう。私はみんなのために、頑張るね。
一人でプレッシャーを抱えるのが、辛くないと言えば嘘になる。もし、疲れたら――また、コーヒーを飲みに行こう。あの人になら、少しくらい甘えても大丈夫かも知れない。だって、いつも優しいから――。今日は、まだやっているかしら。誕生日だから――ひと目、会っておきたいなって思ったの。
アマリラに入ると、驚いたことに、[[rb:健 > たける]]――私の彼氏がいた。どうして…? 私、このカフェのこと、何か話したっけ…? 注文を待つ間、トイレで待っていると、案の定、健も入ってきた。
「よっ」
「ど、どうしてここに…? お兄さんに会うって言ってたじゃない」
「ああ、ここは兄キが働いてる店だ」
「えっ!? それってまさか…」
「あの眼鏡の地味な奴だよ」
どうやら京野さんが、健の腹違いのお兄さんらしい。共通の知り合いをきっかけに、最近やっと、連絡が取れたそうだ。言われてみれば、キリッとした顔立ちは似ている。
「お前こそ、ライブはどうした?」
「もう、終わったわ。ここのコーヒーは美味しいから…」
「そうか? さっきケーキ食ったけどゲロマズだったぜ」
「コーヒーはおいしいのよ」
「そんな事言って、まさか兄貴に惚れてんじゃねえだろうな?」
「まさか…」
彼が無理矢理キスして来たので、私はされるがままに受けていた。待って、カギをかけてない――そう思った時ドアが開き、あろうことか京野さんが、モップを持って入って来た。
「あっ…し、失礼しました…じゃなくって、お客様。この店でそのようなことはお控え下さい。それと、もう閉店時間です」
「カタい事言うなよ、愛しの我がブラザー」
「駄目なものは駄目です」
――ああ、よりによって、京野さんにこんな所を見られるなんて。だけど、これでいい。無闇に争いは、生みたくないもの。
閉店後。私は裏口で、京野さんが出てくるのを待った。ひとつ、言わなければならないことがあるから。黒猫がニャア、と私の足もとにやって来た。
「あら、クロすけじゃない。ここでもご飯をもらっているの?」
彼(彼女かも)はこの町の野良猫。優しい人たちに食べさせてもらっているようだ。猫が住める町は、きっと平和だ。
私はかがんで、クロすけと目を合わせた。それは近づいてきて、尻尾をピンと立てた。触れようとしたら、急に二足立ちしたので、びっくりしてよろけてしまう。それを京野さんが受け止めた。肘から、温かい手のぬくもりが伝わってきた。
「ご、ごめんなさい」
「クロすけですね」
「あなたも、クロすけって呼んでるんですか?」
「オーナーがそう呼んでました。…あの、何か忘れ物でも?」
「そうじゃないんです。あなたにひとつお願いがあって…2、3分、お時間ありますか?」
「あら修治、なーにその子、彼女?」
ドアから女性が出てきてからかう。髪の長い、大人っぽい人だ。
「ち、違いますよ。」
「良いわよねーイケメンはさー彼女作り放題で」
「…あの、歩きながらのお話でもいいですか?」
「はい」
私たちは、深夜11時を回った下祗園の町を歩いた。
「今日は降らなくて良かったですね」
「ええ、予報では降るって言ってましたけど」
「明日は晴れだとか」
「そのまま晴れが続くといいですね」
「そうですね」
6月ではあるけれど、梅雨の合間であるからか、さすがに肌寒いな。そう思っていると、ポツリ、と雨が降り出す。慌てて傘を出そうとしたが、傘を忘れてしまった事に気付いた。
「あっ、どうしよう、傘が…」
「…僕ので良ければ、入りますか?」
「すみません…!」
今日はツイてない。連日のリハーサルで、疲れているのかな。
「私、お邪魔だったんじゃないですか?」
「えっ?」
「さっきの方と一緒に帰られる予定だったのではないですか?」
「いやいや、大丈夫ですよ」
「すみません、京野さんっていつもお優しいから、困らせていないか心配で…」
「僕って、そんなに小心者に見えます?」
「そういうつもりじゃ…ごめんなさい」
「かまいませんよ。それで、お願いとは…」
「大したことではないのですが…弟さんと私の関係、内緒にしておいて欲しいんです。私、芸能関係の仕事をしているので――」
「ああ、そんな事ですか。お安い御用ですよ。」
「良かった、ありがとうございます。では私はこれで…」
「あっ、ちょっと待って下さい」
京野さんは立ち止まると、私に紙袋を差し出した。
「前オーナーに聞いたんですけど、誕生日って6月ですよね? これ、僕が作ったケーキなのですが、良かったら」
「えっ、そんな、悪いです」
「いや、もらって下さい。作りすぎちゃったので。味は悪くないと思いますよ」
「ありがとうございます…」
「タクシー乗り場まで送りますよ」
「いえ、彼が車で待ってるので」
「では、そこまで送りましょう」
「ありがとうございます」
高価なプレゼントも嬉しい。元気をくれるから。
だけど、京野さんからのプレゼントは…甘くて、柔らかくて、あったかくなって、とても幸せになる。
「なんだか本当にお兄さんみたい」
「…やっぱり、健君の方がいいですか?」
「えっ?」
「あ、いえ、弟は幸せ者だな~って」
「…ありがとうございます」
ああ、どうか永遠にこのままで居られますように…。あわよくば、私の義理のお兄さんになってもらえたら、すごく嬉しいな、なんて、さっきまで、あんなに別れようと思っていたのに、私もひどい女だわ。[newpage]
[chapter:3 クリスマス、本当に?]
小さい頃から、要領だけは良かった。
見た目もかなり可愛いし、話術もあった。何よりみんなが頼りにしてくれたって言うのは、あるかも知れない。だから昔から何でも任されてきたし、一人で全部こなしてきた。
叔父の店を継いで、もう4年になる。いや、まだ4年にしかなっていない。経営は既に赤字で、現実の厳しさを思い知らされている所だ。
だからだろうか。今まで男なんか全然興味なかったのに、最近なんだかすごく恋しい。
京野修治とは、幼稚園からの付き合いだ。私のほうが2年上。家が近くて、私のワガママに付き合ってくれる優しい人が彼くらいしかいなかったから、そのままずっと付き合いを続けてる。私がカフェを始めた時も、ウェイターのバイトを引き受けてくれてる。朝早くから夜遅くまで、本当に助かってる。
好き、だと思う。だけど同時に怖くもあった。全てを見透かされそうなほど、アイツは聡明だったから。だからあたしの気持ちにもとっくに気付いてると思う。それでも何もしてこないのは――きっと――そういう事。
「えっ、いま何て…」
「だから、クビだって言ったの。もうお給料払えないから」
ある昼下がりに、ついに私は京野に言った。
「この店、一人じゃ回せませんよ」
「契約期間まではやる。そしたらもう畳むわ」
「なら、それまでは居ます」
「もう払えないって言ってるでしょ。明日からは一人で接客するから。ちなみにタダ働きさせるとあたしが捕まるからね」
「…分かりました」
「これ作ったのお前?」
翌日はクリスマスイブだった。思い上がった男に早速クレームを付けられた。
「金返せよ」
あたしのケーキ、そんなに不味いの? 叔父さんだって美味しいって言ってくれた。パパだってママだって、みんな美味しいって言ってくれたわ。
「アンタの舌がおかしいんじゃないの?」
「こんなマズいモン出しといてよく言えるな。こんな店とっとと畳んで田舎に帰れよ」
頭にきて、皿を何枚も割った。
ほんとは、分かってる。
あたしはあたしが考えてるよりダメな人間みたい。やっと分かったの。私の周りのみんな、嘘つきだったんだって。私はただ、騙されてただけなんだって。私の人生って、一体何だったんだろ。なんで私だけ、こんな辛い思いをしなきゃいけないの…?
「ニャア」クロすけが窓越しに話しかけてくる。
「近づいちゃダメよ。危ないから」
猫はいいな。あんなにわがままなのに、ただ可愛いってだけで人間に可愛がってもらえる。あたしも、猫くらい可愛かったらよかったのに。
「あのー…大丈夫ですか?」
お皿を片付けていた手を止めて見上げると、京野ではない、見知らぬ青年が立っていた。
「邪魔なんだけど」
「手伝います」
そう言って彼は素手で、割れた皿を掴み始めた。
「ちょっと、お客さんにそんな事させられないわ」
「ほんの少しだけですから」
ほかの客は、知らんぷりだ。と言っても、3組しかいないが。
「…なんで手伝うのよ」
「だって…泣いてるから…」
あたしは息をのんだ。あたしには、優しいってどういうことか分からない。助けてくれる人なんかいなかった。いつもあたしが頼られてた。小さい頃から料理だって作ってた。助けることも、助けられることも、よく分からない…。
だけどこのとき、京野といるときみたいな、ほっとする気持ちになった。思わず、愚痴りたくなる。黙ってることができない性分なのよ。
「あーあ、クリスマスだって言うのにホント何やってんだろ。お金はないし、ケーキも作れないし、彼氏もできないし」
「彼氏、居ないんですか。良かったら僕なりましょうか」
「えっ?」
「冗談ですよ。すみません、不謹慎でした…」
そいつはきまりの悪そうな顔をしてうつむいた。
冗談…? ヘンなヤツ。
なんかもう、クリスマスも、店もどうでも良くなってきちゃった。 [newpage]
[chapter:4 義理で隠して]
「同居してんのか!?」
「そうだよー。一緒にお風呂入ったりもするもんねー♪」
「たまにですよ」
「そ、そんな…犯罪だろ?」
「犯罪じゃないよ? だってボク、男だもん」
「えっ、男!? このチビがか!?」
健と呼ばれた人が、驚いている。このビルのオーナー、[[rb:李 > り]] [[rb:有礼 > ありのり]]は、少女のように見えるが立派な成人男性で、声優事務所以外にも、不動産斡旋やカウンセリング業など様々な企業を経営しており、ちなみに僕と京野の同居人でもある。
「言っとくけど、僕、チビじゃないよ。君の背が高すぎるだけだろう。それに、チビにチビって言ったらダメだよ」
「男ならなんでメイド服なんか着てんだ」
「かわいーから❤ 似合ってるでしょ?」
「・・・・・・・・・まぁ・・・・・。」
「できたわ! 今度こそ美味しいはず!」
僕らがスカートを持ってヒラヒラクルクルと回る李さんを見ていると、小湊さんが、大きなガトーショコラを持ってきて、ドンと僕の目の前に置いた。
「食べて」
今日は、「アマリラ」の定休日なのだが、小湊さんに呼ばれた。京野もいて、ニコニコと笑っていた。どうやら今日は「店長オペラ品評会」らしい。ちなみにオペラというのは、チョコレートを使ったケーキのことだ。
「いや、こんなに食べられないです」
「食えよ」
「いえホント、こういうために手伝ったワケではないので」
「ヒトが泣いてるトコ見てタダで帰れると思うなよ」
「これ刑罰の類いですか!?」
恐る恐るひと口食べた僕に、すかさず小湊さんが感想を求めてくる。
「どう? 美味しい?」
この期待を込めた眼差しに、つい人は嘘を吐いてしまうのだろう。
「苦っ」
「何だと!? あたしのオペラが食えねえって言うのか!」
「す、すみません!」
怒るなら、品評会の意味がないじゃないか…。
「由美さん、しばらくは僕がケーキを作りますよ。その間に、また勉強し直したらいいじゃないですか」
「なんで店長のあたしよりウェイターのアンタの方が上手いわけ…」
「今きっと調子が悪いだけですって。叔父さんからせっかく受け継いだお店なんですから、もう少し頑張ってみましょうよ」
「とか言って常連の女の子狙いだろ」
「え!? や、やだなあもう…」
すると、教会から6時を知らせる鐘が鳴った。稽古の時間だ。
「あ、そろそろ帰らないと」
「え? 彼女いないくせにいやに早いわね。観たいテレビでもあんの?」
「明日、収録なんですよ」
「収録? アンタ、テレビ局の人?」
「声優です。地下にスタジオあるじゃないですか」
「彼、いつも家で遅くまで練習してますよ」
僕は声優としてはまだまだ駆け出しで、いつもみんなの足を引っ張っている。だから、少しでも頑張らないといけないんだ。
他に小湊さんの作ったガトーショコラ(オペラ?)を少し包んでもらって(って、小湊さんが勝手に包んでただけだけど)、僕はカフェを後にした。ほんのりとした心地よさに、後ろ髪を引かれる。袋の中のケーキの箱を一瞥し、クリスマスの夜のことを思い出した。
――僕なら、きっと諦めるだろう。
下手とか、面と向かって言われたら、分かってはいてもやっぱり落ち込むし、きっと二度と立ち直れない。言う方にとっては何て事なくても、言われた方にとってはたまらないのだ。
だから、何を言われても堂々と怒れる彼女を見ていると、ちょっと尊敬するし、心を締めつけている焦りとか不安が少しなくなって、ラクになれるんだ。そして気が付いたら、彼女を手伝ってた。
(ケーキを食べる時間くらいは、サボってもいいかな。)
にやつきながら外に出ると、佐倉先輩が、カフェの外で待っていた。俺と目が合うと、ばつが悪そうな顔をする。
誰か待ってるのかな?
「先輩…何してるんですか?」
「あっ、あの…京野さん、いる?」
「いますよ。呼んできましょうか?」
「いっいやっ、い、いいの、いるかどうか聞いただけっ」
なんだか、いつもの余裕のある先輩とは様子が違う。そもそもこんな所でつっ立ってたら、ファンの誰かに見つかるんじゃないだろうか?
京野に用があるのなら、何もこんな所で待たなくても…人に聞かれたくないことなのかな?
そこではたと思いだした。今日がバレンタインデーだということを。
そう言えば、今年は佐倉先輩がチョコを配っているところを見ていない。配るのをやめたのかと思ったけど…。
俺は帰るふりをして、少しだけ近くの建物の影で様子を伺うことにした。決して先輩のプライベートを覗き見しようとか、興味津々とか、そんなことはない。一切ない。
京野が出てきた。外に先輩がいることに気付いたのだろう。
何か話している。先輩はやはり様子がおかしい。出すか? いや、やはり考えすぎ――ほら、出した!
「みんなに配ってるの」なんて、大きな声で言っているのも聞こえてくる。
――配ってない。彼女にとって、渡すのは一人だけだ。それを知ってるのは、彼女一人だけ。彼女一人のなかで、バレンタインを遂行しているんだ。
いや、一人だけではないかも? もしかしたら俺だけが渡されていないという可能性も…でも、先輩のあんな真剣な顔、初めて見た。
「良いなぁ…」
もう、覗き見はやめよう。それで、後で京野に感想でも聞こうかな?
恋は人を嘘つきにさせるって言うけど…天使も堕としてしまうとは、京野修治、恐るべし…。
そこではっと気づく。
「待てよ、バレンタインって…」
――好きな人に、チョコレートを贈る日。
自分の持っている袋を見る。
「…まさか、ね」
熱に浮かされながら、ふらふらと岐路に着く。今更意識しても、その真意はもう分からないのだった…。
[newpage]
[chapter:5 季節、めぐりて]
「…それでね、私は思うんだけど、人の価値って、頭の良さとか、技能とか、顔の良さだけじゃなくって、優しさもあると思うのね。冷たい人より優しい人の方が、モテるじゃない? だから、皆もぜひ、優しい人になってほしいなーと思っていまーす」
「お疲れ~」
「お疲れ様でした~」
今日はエイプリルフール。ラジオ収録を終えた私は、最近の”嫌がらせ”について気に病んでいた。
犯人は恐らく、”エックスレコーズ”の人間だ。彼らは私を引き抜こうとしているのだが、私が断るので、事務所そのものを潰そうとしている。私以外、知名度のある人はあまりいないから、ちょっとした傷でもアウトだ。
「お前も『X-records(エックスレコーズ)』に来いよ。ギャラは良いし、お前ならすぐ売れるぜ。テレビも出してもらえるかもな。スターライト・エンタープライズには、お前は勿体ねえよ」
と、ミュージシャンの健は言うが、私は変えたくない。この事務所が――スターライト・エンタープライズが、好きなんだもの。
駅前を歩いていると、京野さんと二人の女の人が連れ立って歩いているのが見えた。いつものラフな私服ではなく、なんだかとてもお洒落な着こなしをしている。
もしかして、デートなのかしら…。でも、女性が二人いるし…修羅場とか…? 等と邪推しながら眺めていたら、彼が私に気付いて、近付いてきた。
「こんにちは、暖かくなりましたね」
「こんにちは。きょうは…お休みですか?」
「ええ、コミケなので」
一瞬、耳を疑った。
「え?」
「あっ、僕、オタクなんですよ。そうだ、杉田さん、こちら、アンジェラさんといって、プロの声優さんです」
杉田と呼ばれた野暮ったい女の子は、頬を染めながら答えた。心なしか、目が腫れている。
「わ、私そんな…こんな方とお知り合いだなんて聞いてません」
「彼女は女優さんになりたいそうです。アンジェラさんもたまに女優業されてますよね」
「杉田さん、良かったら何かお話しますか? 私、今日空いてますよ」
「ならこのまま”六角荘”に来てもらえば良いじゃない」と、長髪の女性が言った。
どうやら私は、京野さんの住むお家にお邪魔することになったみたいだ――。
「でさ、修羅場になっちゃって」
「昔の話じゃないですか」
道中、小湊さんが、京野さんの昔話などを聞かせてくれた。昔はとてもヤンチャで、二股して騒動になったことや、テニス部だったことなどを話してくれた。今日は彼の新しい一面がたくさん見れて嬉しかった。でも同時に、小湊さんに、「私の方が京野のことは知っている」と、牽制されているようにも感じた。
「杉田さん、お化粧はしないの?」ずっとうつむいている彼女に私が聞いた。「女優さんになりたいなら、お化粧したほうが良いんじゃないかしら」
「お化粧って、なんだか嘘ついてるみたいで嫌いです」
「ふふっ、そうね。だけど、バレなきゃいいのよ」
「そういうもんですかぁ」
「そういうもんでーす。けど、無理に周りと同じ顔にしなくてもいいのよ。あなたが綺麗だと思う顔にすればね」
世の中は、優れた者が勝つ。
優れていなければ、嘘をつけばいい。
嘘がばれてしまった時は、よっぽどのことがない限り、もう、泣き寝入りするしかないのだ。優しい人間など、ごく一部しかいない。
シェアハウス”六角荘”に着いてからも、私は、発声の仕方などを教えてあげた。彼女は女優志望だったが、震災で家を失くし、そのまま上京して来たのだそうだ。素直で、謙虚で、きっと夢を叶えられるだろうと思えた。
「今日は、本当にありがとうございました」
「気にしないで。オーナーが帰ってきたら住む所を紹介してもらおう。李さんは芸能事務所もやってるし、部屋を貸したりもしてるんだ。事情を話せば、きっと力になってくれると思うよ」
「ありがとうございます、本当に…私…政府にも見捨てられて…京野さんがいなかったら…私…」
「無理はしないでね。たまにはまた遊ぼうね」
「は、はい…」
彼女が真っ赤になって答えた。
ああ、京野さん。
なんて罪な人なの。
私もきっと、その優しさを与える相手の一人でしかないんだわ。
私を真剣に見ては、くれないんだわ。
「アンジェラさんも…今日は本当にありがとうございました」
「こちらこそ、楽しかったです」
「いえそんな、ちょっと強引だったかも知れません。何かお礼をさせて頂かないと」
「そんな、気を遣わないでください」
「そういう訳にはいきません。是非。何が良いでしょう?」
「なら、お付き合いしてもらえませんか?」
「えっ?」
「ふふふ、冗談です。今日はエイプリルフールですよ。じゃあいつか、お願い事が出来たらまた、言いますね」
「ああ、何だ。びっくりした。ええ、お待ちしています」
嘘、じゃない。
あなたが、優しいから。
だけどその優しさが、憎い時もある。
優しくしてほしいんじゃないの。
私を見て欲しいの。
だけど私は、あなたに釣り合う資格はないから。
だから、嘘しかつけない。[newpage]
[chapter:6 秋のご褒美]
「あっ」
ある秋の夜。収録が終わってスタジオから上がって来ると、仕事を終えた小湊さんとはち合わせた。
小湊さんを見るだけで、胸が高鳴る。もう秋も終わるというのに、彼女は半袖のシャツ一枚だった。寒くないのだろうか?
気持ちを悟られないように、ぎこちなく挨拶する。
「お、お疲れさまで~す」
「ねえ今度またケーキ食べに来てよ。あれからかなり上達したのよ」
「え? ホントですか?」
「何でそんなに驚くのよ?」
「ス、スミマセン」
「定休日はいつも練習してるから」
「凄いですね」
「もうメレンゲはマスターしたわ。パンケーキは泡立てすぎないのがコツで…ねぇ、ちょっと、大丈夫?」
「あっ、すみません。ちょっと寝不足で」
何日も寝ずに台詞の練習をしていたせいで、収録が終わってから疲れが出てしまったらしい。僕はよろけて壁にもたれてしまった。
「無茶しないでよ。今日はもう早く寝なさい」
「ハハハ、なんだかお母さんみたいですね」
「誰が年増だ! へくちっ」
「す、スミマセン! そうだ、これ」
「何よ」
僕は着ていたジャケットを脱ぎ、小湊さんに手渡す。
「そんな恰好じゃ、風邪引きますよ」
「余計なお世話よ」
「す、すみません…」
小湊さんにはああ言われたけど、休んでなんかいられない。もう少しだけ頑張ろう。僕は、落ちこぼれなんだから、人の何倍も努力しなければ、ついて行けないんだ。
「あ、佐倉先輩! オリコンチャート8位、おめでとうございます!」
「ありがとう」
ある日の収録後、同じ事務所の先輩の”アンジェラ”こと佐倉先輩に挨拶した。彼女は同人上がりの声優で、そのときのホームネームをそのまま使っている。天性の声質で多くのファンを獲得している。事務所の稼ぎ頭だ。ちなみに、僕のハウスメイト、京野修治の好きな人でもある。
「小松崎くん、最近どう? ちゃんと休まなきゃ、ダメだよ」
「…分かってます」
「なら良し。そうだ、良かったら今度、お話できないかなぁ」
彼女はこうして定期的に、事務所の後輩と”お話”をするのだ。それは、「相談に乗るよ」と直接言うと遠慮されてしまうからで、要するに、相談に乗ってくれるのだ。時に足りない部分の指導をしてくれたりもする。ファンもたくさんいるし、実力もあり、そして後輩想いの、本当に「天使」のような人だと思う。当然、僕だって恋い焦がれることもあるが、さすがに高嶺の花だ。
「さあ、できたわ。食べて」
ある水曜日。アマリラを訪ねた僕を、小湊さんが出迎えた。今日はアマリラへ行くと言ったら、修治の奴、気を利かせて今日はアマリラへは行かないと言った。緊張するので、逆に二人きりにしないでほしいのだが…。
僕がプリンをスプーンでひと口食べる。前のようなぱさつきはないようだ。
「あっ、美味しいですよ」
「そうでしょうよ。これでプリンはクリアね。」
僕は彼女が料理本とにらめっこしながら、ウンウンとうなっている所を眺めていた。細かい仕事は、苦手のようだ。それでも、「覚えちゃえばこっちのもんよ」と息巻いている。と言うか今まで、ろくに勉強もせずに、お店を始めたらしい。そりゃあ、お客は来ないわけだ。
「にしてもさぁ、声優なんて、凄くない? 普通、なかなかなれないでしょ」
「そんな、僕なんか全然ダメで…」
「あのねー、人が褒めてんだから素直に受け取りなさいよ」
「す、すみません。」
「今日は…、何で来てくれたの?」彼女が声を小さくして聞いた。
「え、何でって…えっと…時間が…あったから?」
「何それ! ばかにしてんの!?」
「い、いや、もちろん来たいんですけど、仕事とか、稽古とかあって…」
「あんたさ、稽古し過ぎなんじゃないの? こないだ、寝てないって言ってたじゃん。寝ないでまで稽古するなんて、病的だよ」
「…僕もそう思います。だから佐倉先輩も、休めって。僕の家、両親ともに芸能人なんです。兄も…。しかもみんな、すごくレベルが高くて…僕、落ちこぼれなんです。僕もがんばらなきゃ、でないと、置いていかれる、って思うと、不安でどのみち眠れないんですよ」
そうだ、僕はおかしい…このままでは、長生きできない。分かってはいるけど、どこからともなくやって来る焦燥感が、僕を苦しめるのだ。
「ねえ、そろそろ、マカロンにも挑戦してみようと思ってんだ」
「マカロン? それもお菓子ですか?」
「そう、最高難易度のお菓子よ。上手く作れたら食べさせてあげるわ。…ねえ、また来てくれる?」
小湊さんといる時、僕はすごく安心する。ずっとこのままでいたいと思うくらいに。だけど、向こうはどう思っているんだろう? 僕のこと、「ヘンな奴」とか、「男のくせに、軟弱なヤツ」とか、思われてるんじゃないだろうか。
「もちろん」
「ほんとに? 良かった」
彼女が、安堵した表情を見せた。胸がきゅっとしめつけられるのを感じる。
――こんな顔、初めて見た。
僕のこと――少なからず、あてにしてくれてるのかな。
期待しちゃっても、良いのかな…。
「大丈夫? 小松崎くん」
「は、はい」
佐倉先輩との「個人授業」の日。上の空になっていた僕を、先輩が心配してくれた。
「やっぱり、調子悪い? 今度にしようか」
「いや、違うんです。今ちょっと別の事考えてて」
「そう? それなら良いけど…腹筋だけじゃなくて、背筋もした方がいいよって話は、聞いてた?」
「聞いてました。あの、先輩はイの[[rb:口 > くち]]ってどうやってます?」
「イの口?」
「はい、母音の…。養成所ではウと同じ形って言われたんですけど、どうしても上手く発声できなくて」
「えっ? 私口の形意識した事ないや」
「ええ??」
「そっか、養成所ってそういう事もやるんだね。私も養成所行こうかなあ」
「いや、先輩は完璧ですから行く必要ないですよ」
練習していないのに、出来るのか、この人。恐ろしい人だ…。
「力になれなくてゴメン…でも、そんな事まで考えて演ってるなんて、やっぱり小松崎君はスゴイなあ」
「えっ? そんな事ないですよ」
「凄いよ。前から思ってたけど、小松崎君って、”努力の天才”だよね」
「…そんな風に言われたの、初めてです」
先輩に、褒められた。
それって、自信を持って良い、ってこと?
もしかしたら先輩は、イの口のことも、滑舌のことも、きっと全部知っているのかも知れない。
だけど、僕に自信を持たせるために、嘘をついているのかもしれないな。それでも…先輩のその気持ちが嬉しい、と思った。
「明日、オーディションだね。今日はしっかり休んで、悔いのないようにね」
「…はい!」
オーディションの結果は、合格だった。初めての主役だった。
「小湊さん! 僕、今度のアニメの主役のオーディションに受かってしまいました!」
「フーン」
僕たちはふたたび、アマリラで、小湊さんと「二人ケーキ品評会」をしていた。その「自分以外には興味ありません」みたいな態度…素敵です…
「じゃあ、ご褒美に彼氏にしてあげよっか」
「フェ!?」
「あら前、言ってたじゃない。彼氏になりたいって」
「あ…あれは…その…”僕も彼女いないんで落ち込まないでください”的な意味で」
「何よ!? あたしじゃダメなの!?」
「そ、そうじゃないですけど、その…資格があるのかなって」
「え? あたしに彼女になる資格?」
「違います、逆ですって」
「男っぽいのは、あたし一人で充分なのよ。あんたが手伝ってくれたとき…、嬉しかった。そんだけ」
彼女の頬が火照り、耳が赤くなってた。
もう冬の入り口だと言うのに、まだ半袖でいる。寒いのかな。それとも、別の理由で…?
「あ、大丈夫? また寝てないの?」
「いや、違います、嬉しさで目まいが………」
「ホント、アンタって、軟弱ねー」
また彼女が笑う。
彼女の笑顔に励まされ、僕は彼女を助ける。
僕たち、支え合えたら、無敵かも知れないね。[newpage]
[chapter:7 嘘が、つけない]
好きな人が弟の恋人だと分かり、流れとは言えオタクと言う事もばれ、あげくの果てに小湊さんに黒歴史をバラされてしまった僕の気持ちが分かる? 彼女にとって僕は「近所のカフェのウェイター」から「地味で中二なオタク」になってしまった。恥ずかしすぎて、あれからまともに香織さんと話していない。
いや、しかし、逆にこれはチャンスかも知れない。もし彼女が僕の想像していた彼女そのものでなければ、香織さんは「アイドルの顔」を保つために僕を避けるようになる。そうなればそれまでの人だと言うことで、諦めもつくのではないか…?
そんなことを日々悶々と考えているうちに、また春がやってきた。
「顔さえ似てなきゃ、野田の野郎だって紹介したりしなかったろうに」
カフェに差し込む影が、随分短くなってきた。もう5時だというのに、外はまだ夕焼けがまぶしく輝いている。これから少しずつ空気が湿気を帯び、気だるい梅雨がやって来るのだろう。
「そりゃ、悪かったね。顔が似てて」
「『失踪宣告』まで、した後だったんだぞ」
「って事は、君の方は、僕の存在を知っていたんだね」
「爺ちゃんが教えてくれたんだ」
――僕は、父を知らない。どんな人で、何をしていた人かも。母は、父の話はしなかった。僕だって、知りたくなんかなかった。まさか母親が夜逃げしていて、腹違いの弟までいたなんて。その母も、今はもういない。
「家はお前にやる」
「君の育った家だろう?」
「だからだよ。話は終わりだ」
ガタリと、椅子から立ち上がる健とともに、煙草の匂いが、ふわっと広がった。
立ち去り際に彼はこう言った。
「一つ言っとくけどよ、父親を取られたなんて思ってんだったら、そりゃお門違いだぜ。あんな奴、いなくて正解だし、夜逃げしたお前の母ちゃんは、正しい事をした。まあ、育ち方を見りゃ、分かるだろうが」
「君だって、歌手として成功しているじゃないか」
「……人の怒りや憎しみに、葉っぱ掛けてるだけさ」
煙草に火を付けて、彼は言った。
帰る背中は、何かで張り裂けそうにも見えた。
「お洒落なお店ですね」
「一度、来てみたかったの。でも、踊れる人ってなかなかいなくて…」
“一人で行きづらいお店があるので付いて来てほしい”。それが、彼女の望む「お礼」だった。僕にしてみれば、デート以外の何物でもない。店内はうす暗く、レトロな雰囲気を再現していた。言わば「大人のテーマパーク」のようなものだろう。雑食オタクの僕は、たまたま”社交ダンスの漫画”を読んでいたので、踊れないこともないのも幸いした。
「健さんは…」
「彼とは別れたんです」
「えっ!?」
思わず大きな声を出してしまった。
「またまた。今日はエイプリルフール…」
「彼、私を移籍させようとしていて。私は、”スターライト”から移籍する気はないの。李さんは、私の恩人だから」
香織さんは、自分の過去のことを話してくれた。言葉の暴力やネグレクトを受けて、家出したこと。行政機関は、証拠不十分で保護してくれなかったこと。オーディションに落ちたけれど、李さんに拾われて、タダで住み処を貸してくれたこと。彼女の人生を、僕は初めて知り、共有した。心が、その嬉しさと、そして憐憫で満たされ、僕はなぜか、酔いが回ってしまったかのように、クラクラした。
僕たちは、踊り、飲み、喋り、そして食事をする。生まれて、生きて、こんなに楽しいひと時を僕が過ごせるとは、思いもよらなかった。きっと、人生で一番楽しい時間だろう。
「いま、私が、全部『嘘でした』と言っても、あなたは笑って許してくれます?」
「嘘だったんですか? とてもリアルに聞こえましたけど」
「…嘘じゃ、ないです。…ただ、重すぎるから、みんな、嘘だと思いたがる。めんどくさがって」
「嘘にしないで」
僕と彼女だけの世界。くるくると回って、踊り続けた。
「僕にだけは、嘘にしなくていい。全部、受け止めるから」
「…京野、さん…」
彼女の目から、一粒の雫が零れたのが見えた。
「天使の涙が見れたんだ、僕は一生幸運かな」
「私、天使なんかじゃないですよ。ただの恵まれない女の子です」
「天使ですよ。ほら、こんなにも美しい」
人差し指で涙袋をなぞると、彼女は人が変わったみたいに笑った。
「なんちゃって。嘘ですよ、京野さん」
「え? どこまでが?」
「ナイショです」
彼女は口に指を当て、今までの涙が嘘のように明るく笑った。
タクシーを降り、下祗園の駅に着いても、僕はまだ、余韻が抜け切らなかった。また明日から、僕たちは、ウェイターとその客、アイドルとそのファンでしかない。
「楽しかったですか?」香織さんが訊いた。
「ええ、とても」
「楽しんでもらえて良かった。どんな所がいいかって考えちゃった」
「あなたへのお礼なんですから、そんなに気を遣わなくてもいいのに」
「でも…せっかくなら、お互いに楽しみたいじゃないですか?」
「あなたと一緒なら、どこでも楽しいですよ」
「…またそんな、お上手ですね。騙されませんよ、今日は四月一日じゃないですか」
遠くで、0時の鐘が鳴るのが聞こえた。
「…僕は本気ですよ」
香織さんがはっとして、僕を見つめる。
「…京野さん。もう、エイプリルフールは、過ぎましたよ」
「…本当は、ずっと好きでした。ラジオで聞いた時から。貴女の優しさ、教養の深さの虜でした。白状します。あなたを追って、あのカフェにいました。僕はただの、”ガチ恋オタク”です…軽蔑します、よね」
一分前なら笑って誤魔化せた言葉が、今はただ彼女に重たくのし掛かっている。
言わなければ永遠に、彼女と「大人同士の付き合い」で居られただろう。だけど、これでもう本当にただの、”アイドルとただのファン”だ。
彼女はきっと、「ごめんなさい」と云うだろう。そして天使の微笑みで、「これからも応援して下さい」と――
「――私も、嘘じゃないです。あなたが好き」
香織さんは、切なげな瞳で、僕を見上げた。僕もはっとして、彼女を見つめる。
「私も、あなたの優しさが――ずっと前から、好きでした」
「本当ですか? 嘘ではなくて?」
「嘘ではないですよ、もう、京野さん、しつこい」
――”嘘”は、時に人を救い、時に生き残る術となる、なくてはならないものだ。また、明日から――僕はあなたの好きな僕になる。だから、明日から、あなたも僕の好きなあなたでいて欲しい。だけど――嘘と本音の入り混じる、この黄昏時だけ――本当の『本音』を、話させて欲しい。弱い自分で、居させて欲しい。あなたに、触れさせて欲しい、ねえ、いいかな? 僕の「天使」さん――。[newpage]
[chapter:8エピローグ]
[[rb:入沢 > いりさわ]] 健が突然飛び出して、車に轢かれそうな僕を助けたのは、五月下旬のことだった。奴ら、とうとう僕まで狙い出したらしい。
「助かったよ、ありがとう」
「猫が…」
「え?」
「お前んとこの猫がうるせぇから相手してやってたら、たまたまお前がいただけだ。運が良かったな」
「運だけは良くてね、昔から。だからこうして、やっていけてる」
「俺にも分けてほしいもんだ」
「所で、事務所をクビになったんだって?」
「クビじゃねえ、辞めたんだ。まァ最後は喧嘩別れみたいになったが」
「そりゃまた、どうして?」
彼は問いには答えずに、煙草に火をつけて吸い始め、咳払いをする。
「煙草は体に悪いよ。電子タバコにしたらどうだい」
「そんなパチモン、使えるかよ。旅に出ようと思ってさ。自分探しみたいなやつよ」
「その年で」
「正確にゃ、”限界探し”だな。色々やってみて、無理なら、相応の配慮をしてくれる奴を探す」
「なるほど、平和な社会というジグソーのピースになる覚悟が出来たんだね。」
僕の発言に入沢が鼻で笑うと、足元のクロすけが尻尾を振りだした。退屈しているのだろうか。入沢も退屈してきたようだ。膝を叩いてから、言った。
「じゃ、行くわ。香織と、あとエックスレコーズの連中によろしくな」
「入沢君。所属事務所はスターライト・エンタープライズという道もあるのだから、考えておいてね」
「こんな弱小事務所、こっちから願い下げだぜ」
「知ってるよ、君の性格は業界から嫌われてるって」
「救いの神にでもなったつもりか? チビの癖に」
「チビじゃないよ。それに、チビにチビって言ったらいけないよ」
「へいへい、分かったよ、カミサマに説教してもらえるなんて、俺も随分運がいいぜ」
――電子タバコは悪くないらしいよ。
僕が云うと片手を振って、彼は旅立った。この後、結局彼はスターライト・エンタープライズに所属すること、小湊由美は僕らの仕事を手伝い、演出家として名を馳せることになること、そして京野は僕の代わりにスターライト・エンタープライズの社長に就任し、僕は本格的に執筆業に専念することなどは、この頃の僕らはまだ、知る由もなかった。
まあ、僕らの旅の顛末は、また別の機会に譲るとして、ひとまずこの短い季節をめぐる物語の幕を下ろそう。
大丈夫、僕らならきっと、どんな困難にも立ち向かって行けるさ。
<fin>
[newpage]
[chapter:211115KDP]
[chapter:1 一回目のエイプリル・フール]
“アンジェラさん”は、いつも優しい。
どんな人にも笑顔で対応するし、分かりやすい言葉で、落ち着いた口調で話す。
服装も華美でなく、落ち着いていて、誰の目にも優しい色だ。
困っている人がいればそっと手助けしたり、悲しんでいる人がいれば慰めることだってする。
僕の働いているカフェ「アマリラ」は、とあるレコーディングスタジオの1階にある。4階建てのビルで、ほかにもタイ料理店やバレエ教室、声優事務所「スターライト・エンタープライズ」なんかが入っている。カフェの常連には、有名な声優もいるのだ。読み合わせをしたり、朝食を食べたり、休憩所代わりにしていたりしている。アンジェラさんもその一人だ。彼女はその名前で活動している。本名は知らない。一介のウェイターである僕が、知る筈もない。
「京野さん」
彼女の透き通った美しい声が僕の名を呼んだ。それだけで、脳天を駆け抜けるような快感を感じた。ラジオ越しなんかより、ずっと素敵だ。
「ホットコーヒー、おかわりお願いしていいですか」
「分かりました」
「ありがとうございます」
「えー、じゃケッコンする気ないのー」
きょうも、近所の子供の相手をしてあげていた。
アンジェラさんは、子供のファンたちにも真摯に対応するのだ。だが子供の、容赦のない質問に、いつもとても戸惑っている。
――けど、彼女にだってきっと、ああいう時期がきっとあったのだろう。僕にもあったように。その時期の彼女を知らないのが、とても悔しい――いや、やめよう。これじゃあ、ストーカーだ。僕は決してストーカーではない。確かに彼女のいる事務所が近いから、このカフェで仕事をしているけど――
「ファンのみんなが大好きだし、作品が子供みたいなものだからねえ」
彼女にコーヒーを持って行くと、女の子が言った。
「ね、京野さんは? イケメンだし、気が利くし、年も近いでしょ」
「へっ?」急に僕の名前が挙がり、まんざらでもなかったので、ドキリとしてしまった。
「ね、京野さん、アンジェラちゃんとケッコンする?」
「え――ええ、そうなったらとても嬉しいですけど…。」
「まぁ、そんな…。京野さんみたいな方は、とても私なんかじゃ…」
出た――大人の「茶番」。
だけど、大人は、相手を傷つけてはならない。
もしかしたら、アンジェラさんは、同性愛者かもしれないし、何か大きな欠陥があるのかもしれない。
だけど、それを受け入れてくれる人ばかりではない。だから、そのことに触れず、なおかつ相手を立てるために、「大人」は優しい振りをする。
そして、社会は、平和を保っているのだ。
「するの、しないの、どっちなの?」
「オトナってどうしていつも、言葉を濁すんですかね」
「オトナだからだろ」
子供たちが口々に言う。
思いやりを、持っているからだよ――。
子供は、みんな弱者だし、差と言っても大差はないから、まだ本音で語り合える。
しかし大人になるにつれ、格差が増し、同じように話すだけで相手を傷つけたり、傷ついたりしていくことになるのだ――。
「あ、そだ、アンジェラちゃんの本名って何ていうの? あたしは坂井典子!」
「僕は高橋孝太郎です」
「あたしは中村利奈だよ。おねえさんは?」
「んー、内緒」
「えーなんでー! みんな自己紹介したのにー」
「名乗らないなんて失礼だー」
「じゃあ…耳貸して」
アンジェラさんが、子供たちの耳元でじぶんの名前をささやく。
「えっ!? 龍之介…!?」
内緒話にした甲斐なく、女の子が大声で叫んだ。
「まさか…アンジェラちゃんって…」
「元男…!?」
「ああ、そうなんだ…。みんなには内緒にしてくれよ…」
「そっか…なんか悪かったな、無理矢理聞いたりして」
「うん、あたし達ぜったい、言わないから!」
「大丈夫ですよ!」
アンジェラさんが元男だろうと、僕は大丈夫だ。この感情に偽りはない。
「ありがとう…」
と、そこまで神妙にしていたアンジェラさんの声が、とたんに明るくなった。
「なーんてね! ウソだよ! 今日は何の日か知ってる?」
「え? あっ!」
エイプリル・フールかぁ~!
子供たちが口をそろえて叫んだ。
「エイプリル・フールでした~!」
「だ、騙されたぁ~」
「もう、アンジェラちゃんは人が悪いなぁ~」
皆が笑っていると、近くの教会から6時を告げる鐘が鳴った。
「あっ大変だ、もう6時だよ」
「あっやば、田中さんに怒られる。みんな行こ!」
「5名で1642円です」
「じゃーね、アンジェラちゃん! 今夜のゲキレンジャーも観るからね~!」
「ありがと~」
騒がしい子供たちが居なくなると、店内はしんと静かになった。午後6時にこれだけ人が少ないのも、この喫茶店のケーキがあまり美味しくないことが理由なのだが…。
僕とアンジェラさんはふと目を合わせ、「やれやれ」といった顔をお互いに示した。
「私も、お会計、お願いします」
「コーヒー2杯で、650円です」
彼女はお金を千円札で支払って、僕はいつものようにお釣りを手渡した。
「ありがとうございました」
僕が言ったその時、彼女が何か言った。
「――です」
「――え?」
「私の名前――"佐倉香織"です。いつも、『京野さん』って呼んでいるのに、なんだか不公平だから…」
「――あ、そんな、気になさらなくて、いいのに。あっ、僕は…京野修治と言います…ってどうでも良かったですね」
「――こちらこそ――忘れて下さいね」
「すてきなお名前ですね…香織さん…」
「修治さんも…美しい響きです」
アンジェラさん――"香織"さんは、悪戯っぽく微笑んでから、店を後にした。
――いつもは、あんな風に笑わないのに。
もしかして、今日が、エイプリル・フールだから…?
「香織――さん」
名前を呟いただけで、胸が締めつけられる。彼女が居るだけで、それだけで僕の心は――全てを忘れてしまう。けど、僕はただのウェイターだ。この恋は、きっと叶うわけない。それでも、きょうは、エイプリル・フールだから。少しくらい、ばかになっても、いいよな…?
[chapter:2 梅雨の憧れ]
私の好きな人は、彼氏じゃない。元々そこまで好きではなかったけれど、腐れ縁で付き合い始めたのだ。”演技の参考になるかも”――そんな邪な想いもあったかも知れない。もちろん、本人には内緒だ。それから、ファンにも内緒だ。社長には、「一応、ファンには秘密にしてね。アイドル声優なんだし」と言われているし、そろそろ、別れを切り出したい。デビューした時に別れればよかったのだが、タイミングを逃してしまって、切り出せずにいる。
京野修治さんは、シガラキシティのレコーディングスタジオ(ちなみに、このビルのオーナーと私の所属している事務所の社長は同じ)の地階のカフェ、「アマリラ」のウェイター。普段何をしている人なのか、彼女が居るのか、何も知らない。そもそも、フルネームだって、ついこの間知ったんだもの。
けど私は、例え私に彼氏がいなかったとしても、行動に出るつもりはないの。だって私は”声優”だから。声優って、どうしても、世間からズレたイメージがある。オタクっぽいし、ジメジメしてて、引き籠ってるイメージ。ファンも変人ばっかりだったり(実際は、そんな事ないんだけど)。だから、いいの。私なんか、お呼びじゃないと思うし、絶対、ステキな彼女がもういるし。
「アンジェラちゃん、お誕生日おめでと~!」
客席から歓声が沸く。今日はライブだ。私の誕生日にあわせて、毎年集まってくれる。今はそんな皆のために、心を込めて歌おう。私の恋人は、このファンたちだ。それでいい。
楽屋には、沢山のプレゼントが届いていた。中にはとても高価な宝石などもあって、こんな高価なものをプレゼントできるような人も、好きでいてくれているという事がうれしかった。
みんな、本当にありがとう。私はみんなのために、頑張るね。
一人でプレッシャーを抱えるのが、辛くないと言えば嘘になる。もし、疲れたら――また、コーヒーを飲みに行こう。あの人になら、少しくらい甘えても大丈夫かも知れない。だって、いつも優しいから――。今日は、まだやっているかしら。誕生日だから――ひと目、会っておきたいなって思ったの。
アマリラに入ると、驚いたことに、健――私の彼氏がいた。どうして…? 私、このカフェのこと、何か話したっけ…? 注文を待つ間、トイレで待っていると、案の定、健も入ってきた。
「よっ」
「ど、どうしてここに…? お兄さんに会うって言ってたじゃない」
「ああ、ここは兄キが働いてる店だ」
「えっ!? それってまさか…」
「あの眼鏡の地味な奴だよ」
どうやら京野さんが、健の腹違いのお兄さんらしい。共通の知り合いをきっかけに、最近やっと、連絡が取れたそうだ。言われてみれば、キリッとした顔立ちは似ている。
「お前こそ、ライブはどうした?」
「もう、終わったわ。ここのコーヒーは美味しいから…」
「そうか? さっきケーキ食ったけどゲロマズだったぜ」
「コーヒーはおいしいのよ」
「そんな事言って、まさか兄貴に惚れてんじゃねえだろうな?」
「まさか…」
彼が無理矢理キスして来たので、私はされるがままに受けていた。待って、カギをかけてない――そう思った時ドアが開き、あろうことか京野さんが、モップを持って入って来た。
「あっ…し、失礼しました…じゃなくって、お客様。この店でそのようなことはお控え下さい。それと、もう閉店時間です」
「カタい事言うなよ、愛しの我がブラザー」
「駄目なものは駄目です」
――ああ、よりによって、京野さんにこんな所を見られるなんて。だけど、これでいい。無闇に争いは、生みたくないもの。
閉店後。私は裏口で、京野さんが出てくるのを待った。ひとつ、言わなければならないことがあるから。黒猫がニャア、と私の足もとにやって来た。
「あら、クロすけじゃない。ここでもご飯をもらっているの?」
彼(彼女かも)はこの町の野良猫。優しい人たちに食べさせてもらっているようだ。猫が住める町は、きっと平和だ。
私はかがんで、クロすけと目を合わせた。それは近づいてきて、尻尾をピンと立てた。触れようとしたら、急に二足立ちしたので、びっくりしてよろけてしまう。それを京野さんが受け止めた。肘から、温かい手のぬくもりが伝わってきた。
「ご、ごめんなさい」
「クロすけですね」
「あなたも、クロすけって呼んでるんですか?」
「オーナーがそう呼んでました。…あの、何か忘れ物でも?」
「そうじゃないんです。あなたにひとつお願いがあって…2、3分、お時間ありますか?」
「あら修治、なーにその子、彼女?」
ドアから女性が出てきてからかう。髪の長い、大人っぽい人だ。
「ち、違いますよ。」
「良いわよねーイケメンはさー彼女作り放題で」
「…あの、歩きながらのお話でもいいですか?」
「はい」
私たちは、深夜11時を回ったシガラキシティの町を歩いた。
「今日は降らなくて良かったですね」
「ええ、予報では降るって言ってましたけど」
「明日は晴れだとか」
「そのまま晴れが続くといいですね」
「そうですね」
6月ではあるけれど、梅雨の合間であるからか、さすがに肌寒いな。そう思っていると、ポツリ、と雨が降り出す。慌てて傘を出そうとしたが、傘を忘れてしまった事に気付いた。
「あっ、どうしよう、傘が…」
「…僕ので良ければ、入りますか?」
「すみません…!」
今日はツイてない。連日のリハーサルで、疲れているのかな。
「私、お邪魔だったんじゃないですか?」
「えっ?」
「さっきの方と一緒に帰られる予定だったのではないですか?」
「いやいや、大丈夫ですよ」
「すみません、京野さんっていつもお優しいから、困らせていないか心配で…」
「僕って、そんなに小心者に見えます?」
「そういうつもりじゃ…ごめんなさい」
「かまいませんよ。それで、お願いとは…」
「大したことではないのですが…弟さんと私の関係、内緒にしておいて欲しいんです。私、芸能関係の仕事をしているので――」
「ああ、そんな事ですか。お安い御用ですよ。」
「良かった、ありがとうございます。では私はこれで…」
「あっ、ちょっと待って下さい」
京野さんは立ち止まると、私に紙袋を差し出した。
「前オーナーに聞いたんですけど、誕生日って6月ですよね? これ、僕が作ったケーキなのですが、良かったら」
「えっ、そんな、悪いです」
「いや、もらって下さい。作りすぎちゃったので。味は悪くないと思いますよ」
「ありがとうございます…」
「タクシー乗り場まで送りますよ」
「いえ、彼が車で待ってるので」
「では、そこまで送りましょう」
「ありがとうございます」
高価なプレゼントも嬉しい。元気をくれるから。
だけど、京野さんからのプレゼントは…甘くて、柔らかくて、あったかくなって、とても幸せになる。
「なんだか本当にお兄さんみたい」
「…やっぱり、健君の方がいいですか?」
「えっ?」
「あ、いえ、弟は幸せ者だな~って」
「…ありがとうございます」
ああ、どうか永遠にこのままで居られますように…。あわよくば、私の義理のお兄さんになってもらえたら、すごく嬉しいな、なんて、さっきまで、あんなに別れようと思っていたのに、私もひどい女だわ。
[chapter:3 クリスマス、本当に?]
小さい頃から、要領だけは良かった。
見た目もかなり可愛いし、話術もあった。何よりみんなが頼りにしてくれたって言うのは、あるかも知れない。だから昔から何でも任されてきたし、一人で全部こなしてきた。
叔父の店を継いで、もう4年になる。いや、まだ4年にしかなっていない。経営は既に赤字で、現実の厳しさを思い知らされている所だ。
だからだろうか。今まで男なんか全然興味なかったのに、最近なんだかすごく恋しい。
京野修治とは、幼稚園からの付き合いだ。私のほうが2年上。家が近くて、私のワガママに付き合ってくれる優しい人が彼くらいしかいなかったから、そのままずっと付き合いを続けてる。私がカフェを始めた時も、ウェイターのバイトを引き受けてくれてる。朝早くから夜遅くまで、本当に助かってる。
好き、だと思う。だけど同時に怖くもあった。全てを見透かされそうなほど、アイツは聡明だったから。だからあたしの気持ちにもとっくに気付いてると思う。それでも何もしてこないのは――きっと――そういう事。
「えっ、いま何て…」
「だから、クビだって言ったの。もうお給料払えないから」
ある昼下がりに、ついに私は京野に言った。
「この店、一人じゃ回せませんよ」
「契約期間まではやる。そしたらもう畳むわ」
「なら、それまでは居ます」
「もう払えないって言ってるでしょ。明日からは一人で接客するから。ちなみにタダ働きさせるとあたしが捕まるからね」
「…分かりました」
「これ作ったのお前?」
翌日はクリスマスイブだった。思い上がった男に早速クレームを付けられた。
「金返せよ」
あたしのケーキ、そんなに不味いの? 叔父さんだって美味しいって言ってくれた。パパだってママだって、みんな美味しいって言ってくれたわ。
「アンタの舌がおかしいんじゃないの?」
「こんなマズいモン出しといてよく言えるな。こんな店とっとと畳んで田舎に帰れよ」
頭にきて、皿を何枚も割った。
ほんとは、分かってる。
あたしはあたしが考えてるよりダメな人間みたい。やっと分かったの。私の周りのみんな、嘘つきだったんだって。私はただ、騙されてただけなんだって。私の人生って、一体何だったんだろ。なんで私だけ、こんな辛い思いをしなきゃいけないの…?
「ニャア」クロすけが窓越しに話しかけてくる。
「近づいちゃダメよ。危ないから」
猫はいいな。あんなにわがままなのに、ただ可愛いってだけで人間に可愛がってもらえる。あたしも、猫くらい可愛かったらよかったのに。
「あのー…大丈夫ですか?」
お皿を片付けていた手を止めて見上げると、京野ではない、見知らぬ青年が立っていた。
「邪魔なんだけど」
「手伝います」
そう言って彼は素手で、割れた皿を掴み始めた。
「ちょっと、お客さんにそんな事させられないわ」
「ほんの少しだけですから」
ほかの客は、知らんぷりだ。と言っても、3組しかいないが。
「…なんで手伝うのよ」
「だって…泣いてるから…」
あたしは息をのんだ。あたしには、優しいってどういうことか分からない。助けてくれる人なんかいなかった。いつもあたしが頼られてた。小さい頃から料理だって作ってた。助けることも、助けられることも、よく分からない…。
だけどこのとき、京野といるときみたいな、ほっとする気持ちになった。思わず、愚痴りたくなる。黙ってることができない性分なのよ。
「あーあ、クリスマスだって言うのにホント何やってんだろ。お金はないし、ケーキも作れないし、彼氏もできないし」
「彼氏、居ないんですか。良かったら僕なりましょうか」
「えっ?」
「冗談ですよ。すみません、不謹慎でした…」
そいつはきまりの悪そうな顔をしてうつむいた。
冗談…? ヘンなヤツ。
なんかもう、クリスマスも、店もどうでも良くなってきちゃった。
[chapter:4 義理で隠して]
「同居してんのか!?」
「そうだよー。一緒にお風呂入ったりもするもんねー♪」
「たまにですよ」
「そ、そんな…犯罪だろ?」
「犯罪じゃないよ? だってボク、男だもん」
「えっ、男!? このチビがか!?」
健と呼ばれた人が、驚いている。このビルのオーナー、李 有礼は、少女のように見えるが立派な成人男性で、声優事務所以外にも、不動産斡旋やカウンセリング業など様々な企業を経営しており、ちなみに僕と京野の同居人でもある。
「言っとくけど、僕、チビじゃないよ。君の背が高すぎるだけだろう。それに、チビにチビって言ったらダメだよ」
「男ならなんでメイド服なんか着てんだ」
「かわいーから❤ 似合ってるでしょ?」
「・・・・・・・・・まぁ・・・・・。」
「できたわ! 今度こそ美味しいはず!」
僕らがスカートを持ってヒラヒラクルクルと回る李さんを見ていると、小湊さんが、大きなガトーショコラを持ってきて、ドンと僕の目の前に置いた。
「食べて」
今日は、「アマリラ」の定休日なのだが、小湊さんに呼ばれた。京野もいて、ニコニコと笑っていた。どうやら今日は「店長オペラ品評会」らしい。ちなみにオペラというのは、チョコレートを使ったケーキのことだ。
「いや、こんなに食べられないです」
「食えよ」
「いえホント、こういうために手伝ったワケではないので」
「ヒトが泣いてるトコ見てタダで帰れると思うなよ」
「これ刑罰の類いですか!?」
恐る恐るひと口食べた僕に、すかさず小湊さんが感想を求めてくる。
「どう? 美味しい?」
この期待を込めた眼差しに、つい人は嘘を吐いてしまうのだろう。
「苦っ」
「何だと!? あたしのオペラが食えねえって言うのか!」
「す、すみません!」
怒るなら、品評会の意味がないじゃないか…。
「由美さん、しばらくは僕がケーキを作りますよ。その間に、また勉強し直したらいいじゃないですか」
「なんで店長のあたしよりウェイターのアンタの方が上手いわけ…」
「今きっと調子が悪いだけですって。叔父さんからせっかく受け継いだお店なんですから、もう少し頑張ってみましょうよ」
「とか言って常連の女の子狙いだろ」
「え!? や、やだなあもう…」
すると、教会から6時を知らせる鐘が鳴った。稽古の時間だ。
「あ、そろそろ帰らないと」
「え? 彼女いないくせにいやに早いわね。観たいテレビでもあんの?」
「明日、収録なんですよ」
「収録? アンタ、テレビ局の人?」
「声優です。地下にスタジオあるじゃないですか」
「彼、いつも家で遅くまで練習してますよ」
僕は声優としてはまだまだ駆け出しで、いつもみんなの足を引っ張っている。だから、少しでも頑張らないといけないんだ。
他に小湊さんの作ったガトーショコラ(オペラ?)を少し包んでもらって(って、小湊さんが勝手に包んでただけだけど)、僕はカフェを後にした。ほんのりとした心地よさに、後ろ髪を引かれる。袋の中のケーキの箱を一瞥し、クリスマスの夜のことを思い出した。
――僕なら、きっと諦めるだろう。
下手とか、面と向かって言われたら、分かってはいてもやっぱり落ち込むし、きっと二度と立ち直れない。言う方にとっては何て事なくても、言われた方にとってはたまらないのだ。
だから、何を言われても堂々と怒れる彼女を見ていると、ちょっと尊敬するし、心を締めつけている焦りとか不安が少しなくなって、ラクになれるんだ。そして気が付いたら、彼女を手伝ってた。
(ケーキを食べる時間くらいは、サボってもいいかな。)
にやつきながら外に出ると、佐倉先輩が、カフェの外で待っていた。俺と目が合うと、ばつが悪そうな顔をする。
誰か待ってるのかな?
「先輩…何してるんですか?」
「あっ、あの…京野さん、いる?」
「いますよ。呼んできましょうか?」
「いっいやっ、い、いいの、いるかどうか聞いただけっ」
なんだか、いつもの余裕のある先輩とは様子が違う。そもそもこんな所でつっ立ってたら、ファンの誰かに見つかるんじゃないだろうか?
京野に用があるのなら、何もこんな所で待たなくても…人に聞かれたくないことなのかな?
そこではたと思いだした。今日がバレンタインデーだということを。
そう言えば、今年は佐倉先輩がチョコを配っているところを見ていない。配るのをやめたのかと思ったけど…。
俺は帰るふりをして、少しだけ近くの建物の影で様子を伺うことにした。決して先輩のプライベートを覗き見しようとか、興味津々とか、そんなことはない。一切ない。
京野が出てきた。外に先輩がいることに気付いたのだろう。
何か話している。先輩はやはり様子がおかしい。出すか? いや、やはり考えすぎ――ほら、出した!
「みんなに配ってるの」なんて、大きな声で言っているのも聞こえてくる。
――配ってない。彼女にとって、渡すのは一人だけだ。それを知ってるのは、彼女一人だけ。彼女一人のなかで、バレンタインを遂行しているんだ。
いや、一人だけではないかも? もしかしたら俺だけが渡されていないという可能性も…でも、先輩のあんな真剣な顔、初めて見た。
「良いなぁ…」
もう、覗き見はやめよう。それで、後で京野に感想でも聞こうかな?
恋は人を嘘つきにさせるって言うけど…天使も堕としてしまうとは、京野修治、恐るべし…。
そこではっと気づく。
「待てよ、バレンタインって…」
――好きな人に、チョコレートを贈る日。
自分の持っている袋を見る。
「…まさか、ね」
熱に浮かされながら、ふらふらと岐路に着く。今更意識しても、その真意はもう分からないのだった…。
[chapter:5 季節、めぐりて]
「最近、つけられてる気がするんです」
相談がある、と言われ、閉店後にカフェのスタッフで佐倉さんの話を聞いていた。小湊さんと、なぜか同席している小松崎が、ちらりと僕を見た。「僕じゃない!」と、ジェスチャーで伝える。確かに僕は佐倉さんの使っているヘアマニキュアの種類まで知っているが、それはストーキングから得た情報ではない。公式の情報なのだ。もちろん家だって知らない。方角なら、いや、番地まではさすがに分からない。きっとおしゃれなマンションなんだろう、とか想像するだけで我慢している。これがどれだけ忍耐の要ることか。もしストーカーがいるのなら、ファンの矜持を思い知らせてやらねばなるまい。表立っては温和に笑いながら、サイフォンを持つ手に力が入った。
「それは大変だ」
「商売敵の可能性もあるんだよね」
李さんが言った。
「先輩は入沢さんに『X-records(エックスレコーズ)』に誘われてるんだ」
話によると、スターライト・エンタープライズとX-recordsはちょうと仕事を取り合う関係にあるらしい。”スタライ”はファンを大切にする事務所、X-recordsは売り上げを大切にする事務所。方向性の違いからアンジェラさんはずっと断っているらしいのだが、最近いよいよ嫌がらせじみてきているという。
「僕が弟に言っておいてあげましょうか?」
「助かります。あと…」
「はい?」
言いにくそうに口をつぐむ彼女に、僕は心配になって急かしてしまう。
「その。…入沢さんからしばらく、私を匿ってもらえませんか?」
「…どうしてこうなった」
僕らのシェアハウス、六角荘。
いつもは僕、小松崎、そしてたまにオーナーの李さんの三人で囲むテーブルに、場違いな天使が一人いる。薄汚いボロ家が、急に教会に変わってしまったかのようだ。ここを聖域に認定しなくては。
「まぁ、こんなにたくさんいただいて、良いんですか?」
「もちろんです。女性のお口に合うか分かりませんが…」
そう言って僕は野菜炒めを取り分ける。
もちろん、佐倉さんがここを選んだのは、李さんが所有する物件だからである。それ以上の他意はない。頼られたなんて思ってはならない。絶対に。それでも、どうしてもいつもの10倍は気を張ってしまう。緊張と、周囲への警戒と、あと、佐倉さんのポスターだらけの自室を何としても見られてはならないという緊迫感などで。
そんな僕の緊張をよそに、彼女は天使のような笑みを浮かべている。
彼女は幸せそうに、野菜炒めを頬張った。こんなときまで、笑顔である。
――この笑みが、僕だけのものになったらいいのにな。
ふと、そんな邪な邪念がよぎり、懸命に首を横に振った。いかんいかん。これじゃ、ストーカーと同じ思考回路だ。
「ここなら、オレもいますし、京野も信用できる奴ですし、部屋も開いてますから、安心して泊まってってください。オーナー李さんも来れなくて残念って言ってました」
「ありがとう、花房くん」
「それで、『つけられてる』って、具体的にどんな感じなんです?」
僕がそう尋ねると、佐倉さんはぽつぽつと話し始めた。逃げても逃げても、後をつけてくる人がいると言うこと、ときどき、郵便物を送ったと言われて届いていないときがあると言うこと、そして、ドアノブに白くべたつく何かが付着していたりすること…。
「李さんはなんて言ってるの?」
「早急に引っ越すべきだって。事務所の女子タレントは私だけだから、そのために寮を作るわけにもいかないし、もっとセキュリティのしっかりしたところを探してくれるって」
「じゃあ、それまではここに住んだらいいですよ。ねっ、京野さん」
「えっ」
それって、いつまで? まさか、一週間も二週間も彼女と同居なんて、さすがに身がもたない。
「ホ…ホテルのほうが安全じゃないかな…?」
「京野…まさか、先輩と住むのが嫌とか?」
「えっでっでも、大丈夫なんですかね、噂とか…」
「ここはシェアハウスではあっても、一応あのビルと同じオーナーのものだし、スタライの寮ってことになってるから、問題はないと思うよ」
そうだ。確かにここは李さんの不動産で、スタライの寮…と言っても小松崎が住んでいるだけだが、寮の「予定」なのだ。むしろこの場合、場違いなのは小松崎にホイホイのせられて同居している僕の方である。とは言えまさか佐倉さんと小松崎を二人きりで住まわせるわけには絶対にいかない。
「それにいっそ、シェアハウスに住んでることを開き直っちゃえばいいと思うの」
「それって…つまり?」
「ここでの生活を配信しようと思って」
「は?」
やべ、声に出てた。
「あっ、京野さんは映らないようにしますから…」
「京野は家政夫ってことにしとけば?」
「何、勝手に話進めてるんですか!?」
ここでの生活を配信? 僕が家政夫?
いや、家政夫になる事に異議はないが、そうなっては僕は「ファン」ではいられなくなってしまうじゃないか!
そのあとに、もしファンである事がバレたら? 僕こそストーカーとして、捕まってしまう! そうしたらもう二度と、佐倉さんに口をきいてもらえなくなる…。
「どうした? 青い顔して」
「ごめんなさい。先走りすぎました…」
彼女がうつむいて謝る。とんでもない。一番わがままを言っているのは僕だ。
僕は慌てて首を振る。そうだ。僕に彼女への好意があるからいけないんだ。好意さえなければ、丸く収まるんだ。
――隠し通せばいいだけのこと。
今までと同じだ。
絶対に、悟られてはならない。
そんなの、いつもやっている事じゃないか。
「オトナ」なんだ。わきまえられる。
これは仕事なんだ。公私を混同してはならない――。
「いえ、突然の事で理解が追い付かなかったんですが、僕に異論はありませんよ」
「やったぁ、では、これからよろしくお願いしますね!」
ああ、神様。
どうか彼女を傷つける輩を、すべて殺してください。
たとえその中に、僕が入ったとしても。
「お疲れ様。ドミトリーの用意できたよ」
彼女と同居して3日。超スピードで、李さんは部屋の用意を整えた。
まだ慣れないまま、あっという間に過ぎてしまった。もう、彼女が吐いた息が部屋に充満することも、それを思い切り吸うこともできないと思うと、ちょっぴり寂しい。そして特に問題も起きずに過ごせたことに感謝。
引っ越しにさらに1日掛かったが、それでも引っ越しシーズンにしては割安なところに頼むことができたらしい。
僕と小松崎と李さんでぞろぞろと新居に向かう。さながら姫を守る護衛騎士のようだった(一人、まるで姫みたいな服を着た成人男性は混じっていたが…)。
外は春うららといった陽気で、何のためにこんなことになっているのかすら、一瞬忘れてしまうほど暖かだった。
「ここまでで大丈夫です」
佐倉さんはロビーで踵を返す。
「また困ったことがあったら、すぐに言うんだよ。きみはうちで最大で唯一の売れっ子なんだから」
「お褒めに預かり光栄です。これからもこのご恩を返すべく、精進します」
李さんが、娘でも見るような目で優しく笑った。
――李さんって、独身だよな?
この二人の仲は、単なる雇用主とタレントの域を超えている気がする。僕はそう直感した。
世の中にはプロデューサーとアイドルの恋愛なんて言うものがごまんとあるし、まさか、まさかまさか――
「京野さん? 聞いてます?」
ふいに彼女に名を呼ばれ、僕は自分がぼんやりしていた事に気が付いた。
気付けばもう別れの挨拶も終わり、小松崎と李さんは外に出てしまっていた。
「あっ、なんでしょう?」
僕が、何か用があって残ったと思ったのかな。実際は、妄想に嫉妬していただけなんて、口が裂けても言えないが。
「うち、寄って行きます? 何かお礼をさせてください。おいしいもの、たくさんご馳走になっちゃいましたから」
天使の囁きに、身がこわばる。
「ま、まさか」
咄嗟に口に出てから、後悔した。これじゃ拒否しているみたいじゃないか。
「も、もちろん、お邪魔したいのは山々ですが、噂になっては大変でしょう」
「…良いですよ」
え?
聞き取れなかった。僕は間抜けな顔で問い返す。
「京野さんとなら…噂になっても、良いですよ」
彼女の頬は、この陽気のせいで、いつもの2倍くらい赤かった。
僕の頭の中はいつもの10割増しで真っ白だった。返事に――主に、YESと言うのを必死で堪えようとしているのに苦戦していると、ふいに彼女はクスリと笑った。
「ふふふ、冗談です。今日はエイプリルフールですよ」
「ああ、何だ。びっくりした」
「本当に?」
「しましたよ」
ふふふ、と笑ってから、彼女はぺこりとお辞儀をして、玄関へ向かっていった。途中、くるりと振り返って、
「お礼、考えておいてくださいね」
と言うのも忘れずに。
――僕は考えを改めねばならないかもしれない。もしかしたら、彼女は悪魔なのかも――天使の顔をした、悪魔なのかもしれないと。
耳まで赤く染まった僕には、帰りの会話なんてまったく耳に入ってこなかった。
――強引すぎた、かな。
顔を真っ赤にした佐倉が、足早に階段を上る。
――"冗談です。今日はエイプリルフールですよ"
嘘、じゃない。
あなたが、優しいから。
だけどその優しさが、憎い時もある。
優しくしてほしいんじゃないの。
私を見て欲しいの。
だけど私は、あなたに釣り合う資格はないから。
だから、「私」は――嘘しかつけない。
私がふうと溜め息をついて部屋のドアを開ける。鍵はかかっていなかった。
「――? 鍵、かけなかったっけ」
引っ越し業者が、かけ忘れたのかな?
そう思って部屋の中に入ると――。
「ここがあんたの新しい部屋か」
聞き覚えのある声がして、ふり返る。
そこには、入沢君がいた。
「――入沢君? ど…どうして?」
足が、がくがくと震える。
修治さん。助けて、修治さん。
私は無意識に頭の中で彼の名を呼んでいた。
「勘違いするなよ。ストーカーは俺じゃねえ。んなキモい事はしねえ。今日来たのは、話をするためだ」
「話…って?」
「――俺達の事さ」
入沢くんは煙草をくわえたまま、ため息をついた。
[chapter:6 秋のご褒美]
「あっ」
ある秋の夜。収録が終わってスタジオから上がって来ると、仕事を終えた小湊さんとはち合わせた。
小湊さんを見るだけで、胸が高鳴る。もう秋も終わるというのに、彼女は半袖のシャツ一枚だった。寒くないのだろうか?
気持ちを悟られないように、ぎこちなく挨拶する。
「お、お疲れさまで~す」
「ねえ今度またケーキ食べに来てよ。あれからかなり上達したのよ」
「え? ホントですか?」
「何でそんなに驚くのよ?」
「ス、スミマセン」
「定休日はいつも練習してるから」
「凄いですね」
「もうメレンゲはマスターしたわ。パンケーキは泡立てすぎないのがコツで…ねぇ、ちょっと、大丈夫?」
「あっ、すみません。ちょっと寝不足で」
何日も寝ずに台詞の練習をしていたせいで、収録が終わってから疲れが出てしまったらしい。僕はよろけて壁にもたれてしまった。
「無茶しないでよ。今日はもう早く寝なさい」
「ハハハ、なんだかお母さんみたいですね」
「誰が年増だ! へくちっ」
「す、スミマセン! そうだ、これ」
「何よ」
僕は着ていたジャケットを脱ぎ、小湊さんに手渡す。
「そんな恰好じゃ、風邪引きますよ」
「余計なお世話よ」
「す、すみません…」
小湊さんにはああ言われたけど、休んでなんかいられない。もう少しだけ頑張ろう。僕は、落ちこぼれなんだから、人の何倍も努力しなければ、ついて行けないんだ。
「あ、佐倉先輩! オリコンチャート8位、おめでとうございます!」
「ありがとう」
ある日の収録後、同じ事務所の先輩の”アンジェラ”こと佐倉先輩に挨拶した。彼女は同人上がりの声優で、そのときのホームネームをそのまま使っている。天性の声質で多くのファンを獲得している。事務所の稼ぎ頭だ。ちなみに、僕のハウスメイト、京野修治の好きな人でもある。
「小松崎くん、最近どう? ちゃんと休まなきゃ、ダメだよ」
「…分かってます」
「なら良し。そうだ、良かったら今度、お話できないかなぁ」
彼女はこうして定期的に、事務所の後輩と”お話”をするのだ。それは、「相談に乗るよ」と直接言うと遠慮されてしまうからで、要するに、相談に乗ってくれるのだ。時に足りない部分の指導をしてくれたりもする。ファンもたくさんいるし、実力もあり、そして後輩想いの、本当に「天使」のような人だと思う。当然、僕だって恋い焦がれることもあるが、さすがに高嶺の花だ。
「さあ、できたわ。食べて」
ある水曜日。アマリラを訪ねた僕を、小湊さんが出迎えた。今日はアマリラへ行くと言ったら、修治の奴、気を利かせて今日はアマリラへは行かないと言った。緊張するので、逆に二人きりにしないでほしいのだが…。
僕がプリンをスプーンでひと口食べる。前のようなぱさつきはないようだ。
「あっ、美味しいですよ」
「そうでしょうよ。これでプリンはクリアね。」
僕は彼女が料理本とにらめっこしながら、ウンウンとうなっている所を眺めていた。細かい仕事は、苦手のようだ。それでも、「覚えちゃえばこっちのもんよ」と息巻いている。と言うか今まで、ろくに勉強もせずに、お店を始めたらしい。そりゃあ、お客は来ないわけだ。
「にしてもさぁ、声優なんて、凄くない? 普通、なかなかなれないでしょ」
「そんな、僕なんか全然ダメで…」
「あのねー、人が褒めてんだから素直に受け取りなさいよ」
「す、すみません。」
「今日は…、何で来てくれたの?」彼女が声を小さくして聞いた。
「え、何でって…えっと…時間が…あったから?」
「何それ! ばかにしてんの!?」
「い、いや、もちろん来たいんですけど、仕事とか、稽古とかあって…」
「あんたさ、稽古し過ぎなんじゃないの? こないだ、寝てないって言ってたじゃん。寝ないでまで稽古するなんて、病的だよ」
「…僕もそう思います。だから佐倉先輩も、休めって。僕の家、両親ともに芸能人なんです。兄も…。しかもみんな、すごくレベルが高くて…僕、落ちこぼれなんです。僕もがんばらなきゃ、でないと、置いていかれる、って思うと、不安でどのみち眠れないんですよ」
そうだ、僕はおかしい…このままでは、長生きできない。分かってはいるけど、どこからともなくやって来る焦燥感が、僕を苦しめるのだ。
「ねえ、そろそろ、マカロンにも挑戦してみようと思ってんだ」
「マカロン? それもお菓子ですか?」
「そう、最高難易度のお菓子よ。上手く作れたら食べさせてあげるわ。…ねえ、また来てくれる?」
小湊さんといる時、僕はすごく安心する。ずっとこのままでいたいと思うくらいに。だけど、向こうはどう思っているんだろう? 僕のこと、「ヘンな奴」とか、「男のくせに、軟弱なヤツ」とか、思われてるんじゃないだろうか。
「もちろん」
「ほんとに? 良かった」
彼女が、安堵した表情を見せた。胸がきゅっとしめつけられるのを感じる。
――こんな顔、初めて見た。
僕のこと――少なからず、あてにしてくれてるのかな。
期待しちゃっても、良いのかな…。
「大丈夫? 小松崎くん」
「は、はい」
佐倉先輩との「個人授業」の日。上の空になっていた僕を、先輩が心配してくれた。
「やっぱり、調子悪い? 今度にしようか」
「いや、違うんです。今ちょっと別の事考えてて」
「そう? それなら良いけど…腹筋だけじゃなくて、背筋もした方がいいよって話は、聞いてた?」
「聞いてました。あの、先輩はイの口くちってどうやってます?」
「イの口?」
「はい、母音の…。養成所ではウと同じ形って言われたんですけど、どうしても上手く発声できなくて」
「えっ? 私口の形意識した事ないや」
「ええ??」
「そっか、養成所ってそういう事もやるんだね。私も養成所行こうかなあ」
「いや、先輩は完璧ですから行く必要ないですよ」
練習していないのに、出来るのか、この人。恐ろしい人だ…。
「力になれなくてゴメン…でも、そんな事まで考えて演ってるなんて、やっぱり小松崎君はスゴイなあ」
「えっ? そんな事ないですよ」
「凄いよ。前から思ってたけど、小松崎君って、”努力の天才”だよね」
「…そんな風に言われたの、初めてです」
先輩に、褒められた。
それって、自信を持って良い、ってこと?
もしかしたら先輩は、イの口のことも、滑舌のことも、きっと全部知っているのかも知れない。
だけど、僕に自信を持たせるために、嘘をついているのかもしれないな。それでも…先輩のその気持ちが嬉しい、と思った。
「明日、オーディションだね。今日はしっかり休んで、悔いのないようにね」
「…はい!」
オーディションの結果は、合格だった。初めての主役だった。
「小湊さん! 僕、今度のアニメの主役のオーディションに受かってしまいました!」
「フーン」
僕たちはふたたび、アマリラで、小湊さんと「二人ケーキ品評会」をしていた。その「自分以外には興味ありません」みたいな態度…素敵です…
「じゃあ、ご褒美に彼氏にしてあげよっか」
「フェ!?」
「あら前、言ってたじゃない。彼氏になりたいって」
「あ…あれは…その…”僕も彼女いないんで落ち込まないでください”的な意味で」
「何よ!? あたしじゃダメなの!?」
「そ、そうじゃないですけど、その…資格があるのかなって」
「え? あたしに彼女になる資格?」
「違います、逆ですって」
「男っぽいのは、あたし一人で充分なのよ。あんたが手伝ってくれたとき…、嬉しかった。そんだけ」
彼女の頬が火照り、耳が赤くなってた。
もう冬の入り口だと言うのに、まだ半袖でいる。寒いのかな。それとも、別の理由で…?
「あ、大丈夫? また寝てないの?」
「いや、違います、嬉しさで目まいが………」
「ホント、アンタって、軟弱ねー」
また彼女が笑う。
彼女の笑顔に励まされ、僕は彼女を助ける。
僕たち、支え合えたら、無敵かも知れないね。
[chapter:7 嘘が、つけない]
瞬く間に、一年が経った。
「お礼」のことなんて、すっかり忘れていた。彼女の生活も落ち着き、僕がウェイターを始めてからまさに三度目の春が訪れようとしていた。
彼女との関係は、昨年の急激な接近から一転、またウェイターとお客の関係に戻った。僕が努めてそうしたのである。本音を知られたくない。それが正直な理由だった。
だから、彼女とこんな素敵なレストランで食事をしているのは、何かの妄想ではないかと疑いたくなる。
「お洒落なお店ですね」
「一度、来てみたかったんです。京野さんのお眼鏡に適うと良いのですが」
「大満足ですよ。ずっとお店を探していてくれていたなんて、ぜんぜん知らなくて」
「こちらこそ、お礼が遅くなってしまってごめんなさい。」
“一人で行きづらいお店があるので付いて来てほしい”。それが、僕が望んだ「お礼」だった。つまりデートのお誘いである。でも彼女にしてみれば、お礼以外の何物でもない。店内はうす暗く、レトロな雰囲気を再現していた。言わば「大人のテーマパーク」のようなものだろう。洒落た店と言うよりは、何かのコラボカフェと言ったほうがいいくらい、店内には雰囲気がある。
「あれから、ストーカーはなくなりました。入沢くんが、裏で何かしてくれたみたい。私、彼が犯人かもって疑って、悪い事しました」
「本当に良かったですね。そう言えば、健は連れて来なくて良かったんですか?」
「彼とは別れたんです」
「えっ!?」
思わず大きな声を出してしまった。
「またまた。今日はエイプリルフール…」
「彼、しばらく旅に出るって言って、いなくなってしまったんです。私とは、別れようって言い残して。これで良かったんだと思います。もともと、なんとなく付き合っていただけだったし」
香織さんは、自分の過去のことを話してくれた。言葉の暴力やネグレクトを受けて、家出したこと。行政機関は、証拠不十分で保護してくれなかったこと。オーディションに落ちたけれど、健がタダで住み処を貸してくれたこと。そこから芸能界にデビューしたけれど、エックスレコーズとそりが合わず、李さんに引き抜かれたこと。その辺りの事は僕も聞いたことがあったが、彼女の人生を、彼女の口から語られることによって、心が、その嬉しさと、そして憐憫で満たされ、僕はなぜか、酔いが回ってしまったかのように、クラクラした。
僕たちは、踊り、飲み、喋り、そして食事をする。生まれて、生きて、こんなに楽しいひと時を僕が過ごせるとは、思いもよらなかった。きっと、人生で一番楽しい時間だろう。
「いま、私が、全部『嘘でした』と言っても、あなたは笑って許してくれます?」
「嘘だったんですか? とてもリアルに聞こえましたけど」
「…嘘じゃ、ないです。…ただ、重すぎるから、みんな、嘘だと思いたがる。めんどくさがって」
「嘘にしないで」
僕と彼女だけの世界。くるくると回って、踊り続けた。
「僕にだけは、嘘にしなくていい。全部、受け止めるから」
「…京野、さん…」
彼女の目から、一粒の雫が零れたのが見えた。
「天使の涙が見れたんだ、僕は一生幸運かな」
「私、天使なんかじゃないですよ。ただの恵まれない女の子です」
「天使ですよ。ほら、こんなにも美しい」
人差し指で涙袋をなぞると、彼女は人が変わったみたいに笑った。
「なんちゃって。嘘ですよ、京野さん」
「え? どこまでが?」
「ナイショです」
彼女は口に指を当て、今までの涙が嘘のように明るく笑った。
タクシーを降り、シガラキシティの駅に着いても、僕はまだ、余韻が抜け切らなかった。また明日から、僕たちは、ウェイターとその客、アイドルとそのファンでしかない。
「楽しかったですか?」香織さんが訊いた。
「ええ、とても」
「楽しんでもらえて良かった。どんな所がいいかって考えちゃった」
「あなたへのお礼なんですから、そんなに気を遣わなくてもいいのに」
「でも…せっかくなら、お互いに楽しみたいじゃないですか?」
「あなたと一緒なら、どこでも楽しいですよ」
「…またそんな、お上手ですね。騙されませんよ、今日は四月一日じゃないですか」
遠くで、0時の鐘が鳴るのが聞こえた。
「…僕は本気ですよ」
香織さんがはっとして、僕を見つめる。
「…京野さん。もう、エイプリルフールは、過ぎましたよ」
「…本当は、ずっと好きでした。ラジオで聞いた時から。貴女の優しさ、教養の深さの虜でした。白状します。あなたを追って、あのカフェにいました。僕はただの、”ガチ恋オタク”です…軽蔑します、よね」
一分前なら笑って誤魔化せた言葉が、今はただ彼女に重たくのし掛かっている。
言わなければ永遠に、彼女と「大人同士の付き合い」で居られただろう。だけど、これでもう本当にただの、”アイドルとただのファン”だ。
彼女はきっと、「ごめんなさい」と云うだろう。そして天使の微笑みで、「これからも応援して下さい」と――
「――私も、嘘じゃないです。あなたが好き」
香織さんは、切なげな瞳で、僕を見上げた。僕もはっとして、彼女を見つめる。
「私も、あなたの優しさが――ずっと前から、好きでした」
「本当ですか? 嘘ではなくて?」
「嘘ではないですよ、もう、京野さん、しつこい」
――”嘘”は、時に人を救い、時に生き残る術となる、なくてはならないものだ。また、明日から――僕はあなたの好きな僕になる。だから、明日から、あなたも僕の好きなあなたでいて欲しい。だけど――嘘と本音の入り混じる、この黄昏時だけ――本当の『本音』を、話させて欲しい。弱い自分で、居させて欲しい。あなたに、触れさせて欲しい、ねえ、いいかな? 僕の「天使」さん――。
[chapter:8エピローグ]
入沢 健が突然飛び出して、車に轢かれそうな僕を助けたのは、去年の夏のことだった。奴ら、とうとう僕まで狙い出したらしい。
「助かったよ、ありがとう」
「猫が…」
「え?」
「お前んとこの猫がうるせぇから相手してやってたら、たまたまお前がいただけだ。運が良かったな」
「運だけは良くてね、昔から。だからこうして、やっていけてる」
「俺にも分けてほしいもんだ」
彼は煙草に火をつけて吸い始め、咳払いをする。
「煙草は体に悪いよ。電子タバコにしたらどうだい」
「そんなパチモン、使えるかよ。」
彼の発言に僕が笑うと、足元のクロすけが尻尾を振りだした。退屈しているのだろうか。
「――それで、犯人は誰なんだい?」
「ふむ、まぁその辺は見当がついてる。元々、俺が撒いた種だったんだよ」
「と、言うと?」
「俺は香織を売ったんだ。なのにあんたに引き抜かれたから、あいつらは怒ってる。俺はけじめをつけなきゃなんねえ。だから、しばらく旅に出ることにした。世間的には"自分探し"ってことにしている」
「その年で」
「正確にゃ、”限界探し”だな。色々やってみて、無理なら、相応の配慮をしてくれる奴を探す」
「なるほど、平和な社会というジグソーのピースになる覚悟が出来たんだね。」
彼の発言に僕が笑うと、クロすけも笑った。入沢もニッと笑い、膝を叩いてから言った。
「じゃ、行くわ。香織に迷惑掛けた。新しい女でも探すわ」
「入沢君。所属事務所はスターライト・エンタープライズという道もあるのだから、考えておいてね」
僕は、眉を下げて言う。これは本気の提案だ。
「こんな弱小事務所、こっちから願い下げだぜ」
「知ってるよ、君の性格は業界から嫌われてるって」
「救いの神にでもなったつもりか? チビの癖に」
「チビじゃないよ。それに、チビにチビって言ったらいけないよ」
「へいへい、分かったよ、カミサマに説教してもらえるなんて、俺も随分運がいいぜ」
――電子タバコは悪くないらしいよ。
僕が云うと片手を振って、彼は旅立った。この後、結局彼はスタライに所属すること、小湊由美は僕らの仕事を手伝い、演出家として名を馳せることになること、そして京野は僕の代わりにスタライの社長に就任し、僕は本格的に執筆業に専念し、僕達6人の物語が始まることなどは、この頃の僕らはまだ、知る由もなかった。
まあ、僕らの旅の顛末は、また別の機会に譲るとして、ひとまずこの短い季節をめぐる物語の幕を下ろそう。
大丈夫、僕らならきっと、どんな困難にも立ち向かって行けるさ。
<fin>
4
(どこから現れた?)
この女は、俺より#上手__うわて__#かもしれない。
その可能性も当然考えての行動ではあったが、目が冴えるような感覚があった。
女は矛を手に、驚いたような表情を浮かべている。漆黒の長い髪は、なるほど魔女のようだと思わないでもなかった。
想像していたよりずっと若い。エルフかと思ったが違う。荷物を持っていないので、おそらく彼女が魔女で間違いないだろう。休憩中の冒険者という可能性もあるが、冒険者はたいてい神殿で薬草を買うので顔は覚えている。肩がこわばり、緊張しているらしい。
俺は彼女を刺激しないように、温かな口調で言った。
「初めまして。私はクロス。ケソアッソーリの神官です」
返事がない。彼女はいまだ、俺の顔を見て茫然としたままだ。
「あなたが引っ越したことを聞いて、ご挨拶に」
「挨拶?」はっとしたように彼女が答えた。
「もしよろしければ、あなたの事を少し教えていただけませんか? 危害を加えるつもりはありません。私一人でやって来ました」
彼女はすっと矛を下ろす。警戒は解いてもらえたようだ。
「クロス様。失礼な行動をお詫びいたします。私の名はアデリア。この森に住むこととなりました、魔女でございます」
まさかのカーテシーをする魔女。その姿はどこかの貴族令嬢かと思うほど様になっていた。とても礼儀正しい。正しすぎる。こんなにあっさり行くとは思っていなかった。
「まさかあなた様だとは思わなかったものですから」
彼女はそう言葉を続けた。
「私のことをご存知でしたか」
「勿論。クロス神父は私の最大の推し…じゃなくて、お得意様になりそうでしたので」
しかも、商売の話題まで向こうから振ってくるという又とない好機。
俺は営業スマイルで返事をした。
「それはありがたい。どうかこれから、よろしくお願いしますね」
その笑顔が彼女のハートを射抜いていたとは、この時は露ほども分からなかった。
4
(どこから現れた?)
この女は、俺より上手かもしれない。
その可能性も当然考えての行動ではあったが、目が冴えるような感覚があった。
女は矛を手に、驚いたような表情を浮かべている。漆黒の長い髪は、なるほど魔女のようだと思わないでもなかった。
想像していたよりずっと若い。肩がこわばり、緊張しているらしい。
俺は彼女を刺激しないように、温かな口調で言った。
「初めまして。私はクロス。ケソアッソーリの神官です」
返事がない。彼女はいまだ、俺の顔を見て茫然としたままだ。
「あなたが引っ越したことを聞いて、ご挨拶に」
「挨拶?」はっとしたように彼女が答えた。
「もしよろしければ、あなたの事を少し教えていただけませんか? 危害を加えるつもりはありません。私一人でやって来ました」
彼女はすっと矛を下ろす。警戒は解いてもらえたようだ。
「クロス様。失礼な行動をお詫びいたします。私の名はアデリア。この森に住むこととなりました、魔女でございます」
まさかのカーテシーをする魔女。その姿はどこかの貴族令嬢かと思うほど様になっていた。とても礼儀正しい。正しすぎる。こんなにあっさり行くとは思っていなかった。
「まさかあなた様だとは思わなかったものですから」
彼女はそう言葉を続けた。
「私のことをご存知でしたか」
「勿論。クロス神父は私の最大の推し…じゃなくて、お得意様になりそうでしたので」
しかも、商売の話題まで向こうから振ってくるという又とない好機。
俺は営業スマイルで返事をした。
「それはありがたい。どうかこれから、よろしくお願いしますね」
その笑顔が彼女のハートを射抜いていたとは、この時は露ほども分からなかった。
5
「神父様!」
あれから彼女は、事あるごとに神殿を訪れる。
ナターシャといい、門は誰にでも開かれているとは言え、うちは休憩所ではないのだが。
彼女の作る薬はかなり良質だった。俺もそこまで不器用ではないが、やはりプロが作るとなると格が違う。ほかにも気つけや毒消しなど、戦闘や日常生活に使えそうなものは一通り揃えてみた。
「これは惚れ薬でございます」
「さすがにそれは神殿には不要ですねえ」
「あら、神父様が個人的にお買い求めになっても宜しいんですのよ」
そう言ってころころと笑うアデリア。
「それに、神父様は眉目秀麗でいらっしゃいますから、口にするものにはお気を付け下さいませ」
「ははは、ご冗談を」
彼女の差し出すものを一通り吟味してみる。と言ってもひとつひとつ舐めて回る訳にもいかないので、半分は客が飲んでみてのお楽しみだ。
ほかの人にも話を聞いてみたが、魔女の市民からの印象はあまり良くないらしい。何でも、挨拶代わりに腐った牛乳を配ったり、窓から部屋を覗き込んだりしていると言うのだ。
(もしかしたら、「悪い魔女」のほうなのかも知れないな)
今見た薬におかしいところは見当たらない。それにせっかく人手があるのに使わないのも惜しい。それでも念のため、納品された薬は冒険者にだけ売り、町民には自分で作った薬を売ろうと思った。
「それと毒消しなのですが、材料を集めてからになりますので今しばらく時間がかかります」
「では私も手伝いましょう」
毒消しの材料となるシアル草なら、ダンジョン中層で手に入る。わざわざ冒険者に頼むほどのものではない。
「慣れない土地でしょうし、群生地を紹介しますよ」
「まあ! デートというわけですね。嬉しいですわ」
彼女の実力を見極めるいい機会だったので、デートでも何でもいい。俺はハハハと笑って返しておいた。
6
アデリアは、強かった。
見たこともない範囲攻撃を使い、俺が五回くらい攻撃しなければ倒せないダンジョンモンスターをいともたやすく屠る。戦えば負けるかもしれないと思った。ぶるりと震える。
途中、「この頬肉が美味しいんです」とか、「この鱗が使えるんです」という説明を受けながら我々は進んでいった。何に使うのかは聞かないでおこう。
「ここがシアル草の群生地です」
毒消しの薬草は、毒に強い植物から作る。おのずと群生するのは、毒に汚染された場所になりがちだ。あまり来たいと思う場所ではないし、さっさと採集して帰ろう。
「まぁ、こんなにたくさん生えているのを見たのは初めてですわ。このダンジョンは素材の宝庫ですね」
目をきらきらさせて、アデリアが言う。片手には血みどろの、剝いだばかりの毛皮を持っているが。
「色々教えてくださって感謝しますわ。私たちは同じ商売をする仲間ですものね」
そのとき、自分の背筋が凍るのが分かった。
彼女は薬を作れる。売れる。
俺がいなくなれば、彼女はこの町で唯一の薬師になれる。
しかもここは洞窟のなか。神力も使えない神官など、彼女にはひとひねりだろう。
「このダンジョンは、あなたが私を始末するのに絶好の場所ですね」
思わず声が、震える。
(もしかしたら、同業者の出現で浮かれていたのかもしれない)
油断はならない。ダンジョンから出られるまで、彼女から目を離してはならない。
彼女は丁寧に薬箱に薬草をしまうと、じりじりと詰め寄ってきた。背後は壁。人形のような顔が目と鼻の先まで来る。胸を押し当てられながらアメジストブルーの瞳に射抜かれ、身動きがとれない。緊張で汗がつたった。
「まあ、想像力たくましいですこと」
俺の手を取りクスクスと笑う様子は、さすがに魔女だった。
6
アデリアは、強かった。
見たこともない範囲攻撃を使い、俺が五回くらい攻撃しなければ倒せないダンジョンモンスターをいともたやすく屠る。戦えば負けるかもしれないと思った。ぶるりと震える。
途中、「この頬肉が美味しいんです」とか、「この鱗が使えるんです」という説明を受けながら我々は進んでいった。何に使うのかは聞かないでおこう。
「ここがシアル草の群生地です」
毒消しの薬草は、毒に強い植物から作る。おのずと群生するのは、毒に汚染された場所になりがちだ。あまり来たいと思う場所ではないし、さっさと採集して帰ろう。
「まぁ、こんなにたくさん生えているのを見たのは初めてですわ。このダンジョンは素材の宝庫ですね」
目をきらきらさせて、アデリアが言う。片手には血みどろの、剝いだばかりの毛皮を持っているが。
「色々教えてくださって感謝しますわ。私たちは同じ商売をする仲間ですものね」
そのとき、自分の背筋が凍るのが分かった。
彼女は薬を作れる。売れる。
俺がいなくなれば、彼女はこの町で唯一の薬師になれる。
しかもここは洞窟のなか。神力も使えない神官など、彼女にはひとひねりだろう。
「このダンジョンは、あなたが私を始末するのに絶好の場所ですね」
思わず声が、震える。
(もしかしたら、同業者の出現で舞い上がっていたのかもしれない)
油断はならない。ダンジョンから出られるまで、彼女から目を離してはならない。
彼女は丁寧に薬箱に薬草をしまうと、じりじりと詰め寄ってきた。
人形のような顔が目と鼻の先まで来る。アメジストブルーの瞳に射抜かれて、身動きがとれない。緊張で汗がつたった。
「まあ、想像力たくましいですこと」
クスクスと笑う様子は、さすがに魔女だった。
6
アデリアは、強かった。
見たこともない範囲攻撃を使い、俺が五回くらい攻撃しなければ倒せないダンジョンモンスターをいともたやすく屠る。戦えば負けるかもしれないと思った。ぶるりと震える。
途中、「この頬肉が美味しいんです」とか、「この鱗が使えるんです」という説明を受けながら我々は進んでいった。何に使うのかは聞かないでおこう。
「ここがシアル草の群生地です」
毒消しの薬草は、毒に強い植物から作る。おのずと群生するのは、毒に汚染された場所になりがちだ。あまり来たいと思う場所ではないし、さっさと採集して帰ろう。
「まぁ、こんなにたくさん生えているのを見たのは初めてですわ。このダンジョンは素材の宝庫ですね」
目をきらきらさせて、アデリアが言う。片手には血みどろの、剝いだばかりの毛皮を持っているが。
「色々教えてくださって感謝しますわ。私たちは同じ商売をする仲間ですものね」
そのとき、自分の背筋が凍るのが分かった。
彼女は薬を作れる。売れる。
俺がいなくなれば、彼女はこの町で唯一の薬師になれる。
しかもここは洞窟のなか。神力も使えない神官など、彼女にはひとひねりだろう。
「それにこのダンジョンは、あなたが私を始末するのに絶好の場所ですね」
思わず声が、震える。
(もしかしたら、同業者の出現で舞い上がっていたのかもしれない)
油断はならない。ダンジョンから出られるまで、彼女から目を離してはならない。
彼女は丁寧に薬箱に薬草をしまうと、じりじりと詰め寄ってきた。
人形のような顔が目と鼻の先まで来る。アメジストブルーの瞳に射抜かれて、身動きがとれない。緊張で汗がつたった。
「まあ、想像力たくましいですこと」
クスクスと笑う様子は、さすがに魔女だった。
あくしん5話
「神父様!」
あれから彼女は、事あるごとに神殿を訪れる。
ナターシャといい、門は誰にでも開かれているとは言え、うちは休憩所ではないのだが。
彼女の作る薬はかなり良質だった。俺もそこまで不器用ではないが、やはりプロが作るとなると格が違う。ほかにも気つけや毒消しなど、戦闘や日常生活に使えそうなものは一通り揃えてみた。
「これは惚れ薬でございます」
「さすがにそれは神殿には不要ですねえ」
「あら、神父様が個人的にお買い求めになっても宜しいんですのよ」
そう言ってころころと笑うアデリア。
「それに、神父様は眉目秀麗でいらっしゃいますから、口にするものにはお気を付け下さいませ」
「ははは、ご冗談を」
彼女の差し出すものを一通り吟味してみる。鑑定スキルなどは使えないので、半分賭けだ。
ほかの人にも話を聞いてみたが、魔女の市民からの印象はあまり良くないらしい。何でも、挨拶代わりに腐った牛乳を配ったり、窓から部屋を覗き込んだりしていると言うのだ。
(もしかしたら、「悪い魔女」のほうなのかも知れないな)
今見た薬におかしいところは見当たらない。それでも念のため、納品された薬は冒険者にだけ売り、町民には自分で作った薬を売ろうと思った。
「それと毒消しなのですが、材料を集めてからになりますので今しばらく時間がかかります」
「では私も手伝いましょう」
毒消しの材料となるシアル草なら、ダンジョン中層で手に入る。わざわざ冒険者に頼むほどのものではない。
「慣れない土地でしょうし、群生地を紹介しますよ」
「まあ! デートというわけですね。嬉しいですわ」
彼女の実力を見極めるいい機会だったので、デートでも何でもいい。俺はハハハと笑って返しておいた。
あくしん2話
「神父様。いつもありがとうございますだ」
「この町が無事でいられるのも神父様のおかげだ」
「ああ、ちがいねえ」
逃げる宛もなく、ここに居座ってしまった町民たちが次々に貢ぎ物を納めていく。信頼と信仰という価値のないものと引き換えに。ちなみにこの町が襲われないのは町の冒険者と俺が定期的に魔物を討伐しているからなだけである。
「ありがとうございます。神もお歓びでしょう」
俺はそう言って長年に渡って使用してきたスキル「偽善者の笑み」を発動した。
「神父様~!」
貢ぎ物を腕いっぱいに抱えながら歩いていると、俺を呼ぶ声がした。振り返ると、ナターシャという町娘が居た。
ふわふわとした銀色の髪と、透き通るような白い肌から、「森の聖女」と呼ばれている娘だ。
彼女の家は森の中にあり、そこで作物を作って暮らしている。
そう、作物を育てられるのだ、この廃れた土地で。しかも、魔物に襲われることもなく。普通はそんな事、出来るわけがない。
彼女には恐らく、「神力」がある。神力があれば、土地を浄化する事が可能だからだ。どこからやって来た少女なのかは、未だ分からないし、用心するに越した事はないのだが、どうも頭が弱いところがある。それが演技なのか、素なのかは不明だ。
「昨日という日も無事に生きる事ができました。これも神の御心なのですね!」
「ええ、そうですね」
そして筋金入りの信奉者なのだった。
俺は彼女の一挙一動に気を付けながら、昼食をともにした。
今のところ、彼女がこの町に害を及ぼす素振りはない。
俺は別に彼女が神力を使う所を見たことがあるわけではない。作物を持ってくるから、周りがそう讃えているだけで、神力が無くても汚染されていない土地であれば作物は育つし、どこかから作物を調達しているだけの可能性もある。その場合、彼女は我々の脅威となるのか、しっかり見極めなければならない。もし、これが人間に化けたモンスターであるなら、かなりの強者なのは間違いないのだ。ただの人間だとしても、森で住んでいると言うのが本当なら、同じことだ。今の神殿は、結界もないので、モンスターだろうが魔王だろうが問題なく出入りできる。神殿にいるからと言って、モンスターでないとは言えないのだ。
「そう言えば、森に新しい人がやって来ました」ナターシャがパンにバターを塗りながら言った。このパンに使われている小麦も、彼女が育てたものである。
森にはつねに新しい人が出たり入ったりしているので、恐らく旅人が来たとかそういう意味ではないのだろう。
「それは・・・住人と言う意味ですか?」
「はい、湖のほとりに・・・。女の人です」
森の中に住む女か。やはり同じように神力があるのだろうか。やっかいだが、農業従事者が増えるのはありがたい。
「魔女だと名乗っていました」
「ま・・・魔女」
魔女の定義は、曖昧である。しかし一般には、薬草学を極めた人間とされることが多い。森に住めるという事は、かなりの強者と考えてよさそうだ。あまり関わりたくないが、近くに来たからには動向を探らねばならない。
(それに「魔女」なら、薬を卸してくれるかも知れないしな)
色々と手遅れになる前にと、急いで昼食を喉に流し込み、その足で森へ向かった。
あくしん2話
「神父様。いつもありがとうございますだ」
「この町が無事でいられるのも神父様のおかげだ」
「ああ、ちがいねえ」
逃げる宛もなく、ここに居座ってしまった町民たちが次々に貢ぎ物を納めていく。信頼と信仰という価値のないものと引き換えに。ちなみにこの町が襲われないのは町の冒険者と俺が定期的に魔物を討伐しているからなだけである。
「ありがとうございます。神もお歓びでしょう」
俺はそう言って長年に渡って使用してきたスキル「偽善者の笑み」を発動した。
「神父様~!」
貢ぎ物を腕いっぱいに抱えながら歩いていると、俺を呼ぶ声がした。振り返ると、ナターシャという町娘が居た。
ふわふわとした銀色の髪と、透き通るような白い肌から、「森の妖精」と呼ばれている娘だ。
彼女の家は森の中にあり、そこで作物を作って暮らしている。
そう、作物を育てられるのだ、この廃れた土地で。しかも、魔物に襲われることもなく。普通はそんな事、出来るわけがない。
彼女には恐らく、「神力」がある。神力があれば、土地を浄化する事が可能だからだ。どこからやって来た少女なのかは、未だ分からないし、用心するに越した事はないのだが、どうも頭が弱いところがある。それが演技なのか、素なのかは不明だ。
「昨日という日も無事に生きる事ができました。これも神の御心なのですね!」
「ええ、そうですね」
そして筋金入りの信奉者なのだった。
俺は彼女の一挙一動に気を付けながら、昼食をともにした。
今のところ、彼女がこの町に害を及ぼす素振りはない。
俺は別に彼女が神力を使う所を見たことがあるわけではない。神力が無くても汚染されていない土地であれば作物は育つのだから、単純に物凄い強者なだけの可能性もある。その場合、彼女は我々の脅威となるのか、しっかり見極めなければならない。もし、これが人間に化けたモンスターであるなら、かなりの強者なのは間違いないのだ。ただの人間だとしても、森で住んでいると言うのが本当なら、同じことだ。今の神殿は、結界もないので、モンスターだろうが魔王だろうが問題なく出入りできる。神殿にいるからと言って、モンスターでないとは言えないのだ。
「そう言えば、森に新しい人がやって来ました」ナターシャがパンにバターを塗りながら言った。このパンに使われている小麦も、彼女が育てたものである。
森にはつねに新しい人が出たり入ったりしているので、恐らく旅人が来たとかそういう意味ではないのだろう。
「それは・・・住人と言う意味ですか?」
「はい、湖のほとりに・・・。女の人です」
森の中に住む女か。やはり同じように神力があるのだろうか。やっかいだが、農業従事者が増えるのはありがたい。
「魔女だと名乗っていました」
「ま・・・魔女」
魔女の定義は、曖昧である。しかし一般には、薬草学を極めた人間とされることが多い。森に住めるという事は、かなりの強者と考えてよさそうだ。あまり関わりたくないが、近くに来たからには動向を探らねばならない。
(それに「魔女」なら、薬を卸してくれるかも知れないしな)
色々と手遅れになる前にと、急いで昼食を喉に流し込み、その足で森へ向かった。
だから、大学が同じってことすら、構内で鉢合わせるまで知らなかった。
最初は、似てる別人だと思った。だって、すごく態度が悪い。
言葉も乱暴で、ヤンキーみたいな人たちとつるんでた。顔は柔和なのに、勿体ない。
けど、あたしに気付いて、びっくりして逃げたから、やっぱりあいつは星也なんだろう。
あいつは泣き虫で、バカで、のんびり屋で、わがままで、どっちかと言うと「癒し系」のタイプだった。
なんで、あんなふうになったのかは、分からない。いつから変わった? 思春期から? 反抗期から? いや、その頃の星也と話したこともある。そんな口調じゃなかった。よくわからない。双子? 二重人格? 大学デビュー?
あたしもあたしで、奨学金のために勉強ばかりしてたから、高校生の頃はほとんど会ったことがない。その頃に何かあったのか?
じめじめ湿った梅雨の夜。そんなことを考えながら、いつものようにぼんやりベランダを眺めてたら、やつがバルコニーに出てきた。あたしを捕捉して、手招きをする。
じわっとした生ぬるい風が、肌にまとわりつく。
(こんなふうに、ベランダに出るのすら、何年ぶりだろう)
何年ぶりでも、違和感はなかった。幼少期は、ほぼ毎日こうやって星也と話していたのだ。体が覚えている。
あたしはそっと振り向いた。家族はテレビに夢中である。
暖かくなった。もう、大学二年生の春だ。就職活動も始める時期。
あっという間に大人になったんやね、あたしたち。
久々に見る星也は、もう誰がなんと言おうと男の人だった。もう泣きわめかないし、奇声も発しない。なんかおしゃれなブラウスなんかを着てバルコニーに佇むその姿は、やっぱり王子様みたいだった。
(オレ様系にして、モテるとでも思ったんやろか)
「東京の大学に行ったと思ってたわ」
あたしは努めて明るい声を出す。
「近くにいい大学があるやん。それに、俺がまだ住んどるのも知らんかったとか」
「生憎、あたしも忙しいんで、お隣さんの動向なんて知りませーん」
「優菜が通ってるち知っとったら、もっと早く会いに行ったとに」
「頼んでないから」
あたしがぴしゃりと言うと、星也は黙った。
「なんであんなチャラい系にしとったん。一瞬ドッペルゲンガーかと思ったわ」
「俺、外ではあんな感じ」
「嘘。いつから?」
「小学校から」
嘘だあ、とあたしが言いたくても、ヤツの顔は、なぜか悲痛そうだったので、飲み込んだ。
男子にも色々、あるんやろか。
「…俺はさ」
星也が先に口を開いた。
「こげな家に住んでるち、誰にも言ってないくさ」
「え」
「コンプレックスたい、裕福なんが」
裕福なのが、コンプレックス?
そんな人おる?
「でも、私立やったし、みんな裕福やろ」
「私立じゃなか、国立たい」
え。国立やったんや。知らんかった。
こういうのは親伝てに聞いたりするのかもしれないが、うちは親の関わりが一切ない。
「だから、ありのままでいられるん、優那とだけったい」
…んっ?
えっ、待って何この流れ。
「俺は、優菜が好きたい。でも、嫌われとんのは分かっとる」
「はぁっ!?」
わたしは声に出して叫んだ。
嫌ってなどいない、嫌ってなどいない。断じて嫌いではない。
私が、私を許せなくなるから、おまえが怖いだけだ。
「もう、二度と話し掛けない。それだけ伝えたかった」
「待っ…アホやなか!?」
思うより先に、足が動く。
宙を舞って、バルコニーまでダイブ。
小学生まではできたんだ。二十歳にだってできないはずはない。
彼の胸に飛び込む。まぁ、飛び込むって言うか、突き飛ばしたけど。二人で部屋にころがり込んだけど。
星也は、目を白黒させてる。かわいい。それからふっと目を細めた。
「空から降ってくるなんて、まるでお姫様みたいやね」
いや、そのポジションはアンタだろ。
「あたしの王子様は、あんたやし」
ん!?
ツッコミと告白が混ざって、めちゃくちゃ恥ずかしい台詞になっとるばい!
「いやっ、今のは勢いで…」
ぎゅうと抱き締められて、言葉を止められた。
「もう離さない」
「離して」
「嫌だ」
「みんな見とる!」
二人でアパートの方を見れば、アパートじゅうの人がこちらを見てニヤついている。姉と妹も、その気色悪い笑みをどけろ。
隣に立ってるヤツは、恥ずかしくもなんともないという顔でニコニコしている。
「やれ、兄ちゃん!」
「キスば! キスばしーや」
「…」
二人で黙りこくった。
「…する?」
「え、ここで? 待っ…」
私が言い終わる前に、唇が触れる。
お隣の王子様は、やっぱりあたしの王子様やった。
口笛も、野次も歓声も、もう聞こえない。
<おわり>
だから、大学が同じってことすら、構内で鉢合わせるまで知らなかった。
最初は、似てる別人だと思った。だって、すごく態度が悪い。
言葉も乱暴で、ヤンキーみたいな人たちとつるんでた。顔は柔和なのに、勿体ない。
けど、あたしに気付いて、びっくりして逃げたから、やっぱりあいつは星也なんだろう。
あいつは泣き虫で、バカで、のんびり屋で、わがままで、どっちかと言うと「癒し系」のタイプだった。
なんで、あんなふうになったのかは、分からない。いつから変わった? 思春期から? 反抗期から? いや、その頃の星也と話したこともある。そんな口調じゃなかった。よくわからない。双子? 二重人格? 大学デビュー?
あたしもあたしで、奨学金のために勉強ばかりしてたから、高校生の頃はほとんど会ったことがない。その頃に何かあったのか?
じめじめ湿った梅雨の夜。そんなことを考えながら、いつものようにぼんやりベランダを眺めてたら、やつがバルコニーに出てきた。あたしを捕捉して、手招きをする。
じわっとした生ぬるい風が、肌にまとわりつく。
(こんなふうに、ベランダに出るのすら、何年ぶりやろう)
何年ぶりでも、違和感はなかった。幼少期は、ほぼ毎日こうやって星也と話していたのだ。体が覚えている。
あたしはそっと振り向いた。家族はテレビに夢中である。
暖かくなった。もう、大学二年生の春だ。就職活動も始める時期。
あっという間に大人になったんやね、あたしたち。
久々に見る星也は、もう誰がなんと言おうと男の人だった。もう泣きわめかないし、奇声も発しない。なんかおしゃれなブラウスなんかを着てバルコニーに佇むその姿は、やっぱり王子様みたいだった。
(オレ様系にして、モテるとでも思ったんやろか)
「東京の大学に行ったと思ってたわ」
あたしは努めて明るい声を出す。
「近くにいい大学があるやん。それに、俺がまだ住んどるのも知らんかったとか」
「生憎、あたしも忙しいんで、お隣さんの動向なんて知りませーん」
「優菜が通ってるち知っとったら、もっと早く会いに行ったとに」
「頼んでないから」
あたしがぴしゃりと言うと、星也は黙った。
「なんであんなチャラい系にしとったん。一瞬ドッペルゲンガーかと思ったわ」
「俺、外ではあんな感じ」
「嘘。いつから?」
「小学校から」
嘘だあ、とあたしが言いたくても、ヤツの顔は、なぜか悲痛そうだったので、飲み込んだ。
男子にも色々、あるんやろか。
「…俺はさ」
星也が先に口を開いた。
「こげな家に住んでるち、誰にも言ってなかとよ」
「え」
「コンプレックスたい、裕福なんが」
裕福なのが、コンプレックス?
そんな人おる?
「でも、私立やったし、みんな裕福やろ」
「私立じゃなか、国立たい」
え。国立やったんや。知らんかった。
こういうのは親伝てに聞いたりするのかもしれないが、うちは親の関わりが一切ない。
「だから、ありのままでいられるん、優那とだけったい」
…んっ?
えっ、待って何この流れ。
「俺は、優菜のこと」
「ちょっ、待て待て待て」
何? 何言う気? 待った。
まず「彼氏いるの?」とかそういう流れから変化球つけて聞けし。
すでに壊れたはずの心臓が鼓動するのを感じる。
あたしの頭はすでに「どうやって断ろう」ということでいっぱいだった。
だって、アイツの隣になんか立てんもん――
「優菜のこと、まだ友達だと思ってるち…言うちゃいかんとか?」
「…あ、友達ね」
続く
2.二度目の出会い
だから、大学が同じってことすら、構内で鉢合わせるまで知らなかった。
最初は、似てる別人だと思った。だって、すごく態度が悪い。
言葉も乱暴で、ヤンキーみたいな人たちとつるんでた。顔は柔和なのに、勿体ない。
けど、あたしに気付いて、びっくりして逃げたから、やっぱりあいつは星也なんだろう。
あいつは泣き虫で、バカで、のんびり屋で、わがままで、どっちかと言うと「癒し系」のタイプだった。
なんで、あんなふうになったのかは、分からない。いつから変わった? 思春期から? 反抗期から? いや、その頃の星也と話したこともある。そんな口調じゃなかった。よくわからない。双子? 二重人格? 大学デビュー?
あたしもあたしで、奨学金のために勉強ばかりしてたから、高校生の頃はほとんど会ったことがない。その頃に何かあったのか?
じめじめ湿った梅雨の夜。そんなことを考えながら、いつものようにぼんやりベランダを眺めてたら、やつがバルコニーに出てきた。あたしを捕捉して、手招きをする。
じわっとした生ぬるい風が、肌にまとわりつく。
(こんなふうに、ベランダに出るのすら、何年ぶりだろう)
何年ぶりでも、違和感はなかった。幼少期は、ほぼ毎日こうやって星也と話していたのだ。体が覚えている。
あたしはそっと振り向いた。家族はテレビに夢中である。
暖かくなった。もう、大学二年生の春だ。就職活動も始める時期。
あっという間に大人になったんやね、あたしたち。
久々に見る星也は、もう誰がなんと言おうと男の人だった。もう泣きわめかないし、奇声も発しない。なんかおしゃれなブラウスなんかを着てバルコニーに佇むその姿は、やっぱり王子様みたいだった。
(オレ様系にして、モテるとでも思ったんやろか)
「東京の大学に行ったと思ってたわ」
あたしは努めて明るい声を出す。
「近くにいい大学があるやん。それに、俺がまだ住んどるのも知らんかったとか」
「生憎、あたしも忙しいんで、お隣さんの動向なんて知りませーん」
「優菜が通ってるち知っとったら、もっと早く会いに行ったとに」
「頼んでないから」
あたしがぴしゃりと言うと、星也は黙った。
「なんであんなチャラい系にしとったん。一瞬ドッペルゲンガーかと思ったわ」
「俺、外ではあんな感じ」
「嘘。いつから?」
「小学校から」
嘘だあ、とあたしが言いたくても、ヤツの顔は、なぜか悲痛そうだったので、飲み込んだ。
男子にも色々、あるんやろか。
「…俺はさ」
星也が先に口を開いた。
「こげな家に住んでるち、誰にも言ってないくさ」
「え」
「コンプレックスたい、裕福なんが」
裕福なのが、コンプレックス?
そんな人おる?
「でも、私立やったし、みんな裕福やろ」
「私立じゃなか、国立たい」
え。国立やったんや。知らんかった。
こういうのは親伝てに聞いたりするのかもしれないが、うちは親の関わりが一切ない。
「だから、ありのままでいられるん、優那とだけったい」
…んっ?
えっ、待って何この流れ。
「俺は、優菜が」
「ちょっ、待て待て待て」
何? 何言う気? 待った。
まず「彼氏いるの?」とかそういう流れから変化球つけて聞けし。
すでに壊れたはずの心臓が鼓動するのを感じる。
あたしの頭はすでに「どうやって断ろう」ということでいっぱいだった。
だって、アイツの隣になんか立てんもん――
「優菜がまた友達になってくれたらすごく嬉しいって…言っちゃいかんとか?」
「…あ、友達ね」
続く
好きだ。でも、嫌われてるのは分かってる」
「はぁっ!?」
わたしは声に出して叫んだ。
嫌ってなどいない、嫌ってなどいない。断じて嫌いではない。
私が、私を許せなくなるから、おまえが怖いだけだ。
「もう、二度と話し掛けない。それだけ伝えたかった」
「待っ…バカじゃないの!?」
思うより先に、足が動く。
宙を舞って、バルコニーまでダイブ。
小学生まではできたんだ。二十歳にだってできないはずはない。
彼の胸に飛び込む。まぁ、飛び込むって言うか、突き飛ばしたけど。二人で部屋にころがり込んだけど。
星也は、目を白黒させてる。かわいい。それからふっと目を細めた。
「空から降ってくるなんて、まるでお姫様みたいだね」
いや、そのポジションはアンタだろ。
「あたしの王子様は、あんただよ!」
ん!?
ツッコミと告白が混ざって、めちゃくちゃ恥ずかしい台詞になっちゃった!
「いやっ、今のは勢いで…」
ぎゅうと抱き締められて、言葉を止められた。
「もう離さない」
――離さなくていい。
これから、たくさんの時間を埋めよう。二人で。
そして、出来れば玉の輿を…
口笛の音で後ろを向き、アパートじゅうの人が、あたしたちのことを見ていたことに気付いたあたしは、彼ら
姉と妹が、気持ちの悪い笑みでこちらを見ているのが見えた。
くまで、あと10秒…。
犠牲にすれば手にはいると思ったから。
星也の親が反対するシーンとか
星也の親に嫌がらせされる
娘と、私と、宿題と
[chapter:娘と妻と私]
私には、妻と娘がいる。
大学時代にアメリカで出会った、現地の妻だ。
私は英文科だが、所詮ヒアリングなど赤子レベル。それでも何とかアタックし、ついに結ばれることができた。
唯一想定外だったのは、彼女が故郷を離れるつもりがなかったこと。
英文科は英語が母国語でないから価値があるのであり、私などアメリカでは無学のアジア人でしかない。仕事をするなら日本に限る。そうするとつまり自然に、新婚でありながら単身赴任という構図になるのだ。
妻との会話は、テレビ通話などがあるから特に寂しくはない。私の場合、筆談のほうがよっぽどコミュニケーションが取れるので、メールは逆にありがたいくらいだ。
問題は、生まれたばかりの娘である。
いくら通話ができるとは言え、知らんおっさんの顔を延々と見せられてもわけが分からないに決まってる。やはり、近くにいて、抱きしめたり、肩車したり、いっしょにご飯を食べてこそ、父娘の絆は生まれると思うのだ。特に彼女はハーフ。悩みも人一倍あるだろう。アジア人の親としてそばにいてやりたいし、ハーフとは言えアメリカに住んでいる以上「アメリカ人」なのだし、「日本人」の私を受け入れられるかも分からない。このままでは、永久的な溝ができる気がしてならない。
何とかしなければ…。そうこうしているうちに、世界は大規模なパンデミックに見舞われ、国家間の移動の制限が解け、私と彼女が直接会えるようになったころには、娘はもう8歳になっていた。
貧しいことは、誰よりもわかってる。
私の父は電設会社の平社員で、社員寮のボロアパートに、両親と姉、妹の5人で暮らしている。
好きなおもちゃも、ゲームも諦めた。服だってろくに買えない。勉強道具だってお下がり。
とりわけ嫌だったのは、私の隣の家のこと。
うちのボロアパートのボロさを際立たせるみたいに、大きくて新しい家。しかも住んでるのはうちと同じ5人。こんな大きな家にたった五人なんて、土地の無駄遣いなんじゃない? 全く同じ面積のうちのアパートは、うちみたいな家族が6世帯(1階×2階)入る。単純計算で30人住んでるんだぞ。お前らが5人で住んでいる土地に。
さらに嫌なのは、その家の一人息子。私と同い年なのだ。そりゃ、子供の頃は確かにいろいろ遊んだ。うちのベランダとそいつの部屋のバルコニー(二階)が向かい合ってるから、ジャンプして行き来して怒られたりもした。だけど小学生くらいから、あいつの言動がいちいち癪に触って、あたしのほうから絶交した。向こうはいまだにあたしを見つけると寄ってくるが、それも撒いていると、最近ではそれもなくなった。泣きそうな目でこちらを見ながら。
なんでお前がショック受けてんの?――そうだよ。いつだって辛いのはこっちだよ。
貧乏でさえなければ、あんたの隣に並んでたよ。声変わりも済んで、かっこよくなりやがってなんて揶揄いながら、同じ学校に通学して、バレンタインにチョコ作ったり、彼女になった人にちょっぴり嫉妬したり…。
「幼馴染み」の「お隣さん」って、普通そうでしょ? でも、うちらはそうならなかった。
全てはあたしが貧乏で、あんたが金持ちだったから。
1 隣の王子君
貧しいことは、誰よりもわかってる。
私の父は電設会社の平社員で、社員寮のボロアパートに、両親と姉、妹の5人で暮らしている。
好きなおもちゃも、ゲームも諦めた。服だってろくに買えない。勉強道具だってお下がり。
とりわけ嫌だったのは、私の隣の家のこと。
うちのボロアパートのボロさを際立たせるみたいに、大きくて新しい家。しかも住んでるのはうちと同じ5人。こんな大きな家にたった五人なんて、土地の無駄遣いなんじゃない?
全く同じ面積のうちのアパートは、うちみたいな家族が6世帯(1階×2階)入る。単純計算で30人住んでるんだぞ。お前らが5人で住んでいる土地に。
さらに嫌なのは、その家の一人息子。私と同い年なのだ。そりゃ、子供の頃は確かにいろいろ遊んだ。うちのベランダとそいつの部屋のバルコニー(二階)が向かい合ってるから、ジャンプして行き来して怒られたりもした。だけど小学生くらいから、住む世界が違うって気付いて、あたしのほうから距離を置いた。向こうはいまだにあたしを見つけると寄ってくるが、それも撒いていると、最近ではそれもなくなった。泣きそうな目でこちらを見ながら。
なんでお前がショック受けてんの?――そうだよ。いつだって辛いのはこっちさ。
でもね、あんたの言葉のひとつひとつが、あたしの劣等感と悔しさを刺激するの。あんたは、筋金入りのぼんぼんだから、別に自慢しようなんてつもりがないことは分かってる。
貧乏でさえなければ、あんたの隣に並んでたよ。声変わりも済んで、かっこよくなりやがってなんて揶揄いながら、同じ学校に通学して、バレンタインにチョコ作ったり、彼女になった人にちょっぴり嫉妬したり…。
「幼馴染み」の「お隣さん」って、普通そうでしょ? でも、うちらはそうならなかった。
全てはあたしが、貧乏だったから。