神というものは、おそらくもういないのだと思う。
昔は「神力」という不思議な力を持つ者だけが神官になれたのだが、今では多くが死に、定員割れして希望者は全員神官になれる。
魔王が世界を征服して、5年が経った。
と言っても魔王は人間をむやみに殺さない。但し大地は枯れ、食物は減り、何もしなくても死ぬのだが。
俺が神官になったのは、何もそんな世界を変えたいとか、民の心の支えになりたいとか、そんな綺麗な理由じゃない。
単純に、面白いからだ。
無駄な祈りを捧げるバカな奴らを見ているのが。
そして祈りが通じず死んでいく奴らを見るのが。
こんなご時世でもーーいや、こんなご時世だからこそ、人は神に祈る。貢ぎ物は絶えない。俺はほらを吹いていれば簡単に食べ物がやって来るという仕事。こんな良い職、就かない手はないだろ?
「神に祈りなさい。神は必ず見ていらっしゃいます。この試練を乗り越えるためには、祈りの力が必要なのです。神は我々の祈りの力を見極めていらっしゃるのです」
この神殿は魔王の住む城の一番近くにある。人間たちが暮らす辺境の町だ。
魔王城は元々王城だったが、城下町はすべてモンスターのはびこる森に変わった。つまりここは、王都から二番目に近い町だったのだ。王族も貴族も、みな死んだ。少なくともこの国は。強い奴だけが町に残った。俺は魔法も、剣もそれなりに使える。この町でやっていくくらいのことはできる。魔王を倒さんとする剣士たちのお陰で、薬も大人気だ。帰ってくる人も、二度と帰らない人もいた。
こうなると俺にとっての神は魔王だな、なんてことを考えるくらいには、ここの生活は性に合っていた。
「神父様。いつもありがとうございますだ」
「この町が無事でいられるのも神父様のおかげだ」
「ああ、ちがいねえ」
逃げる宛もなく、ここに居座ってしまった町民たちが次々に貢ぎ物を納めていく。信頼と信仰という価値のないものと引き換えに。ちなみにこの町が襲われないのは町の冒険者と俺が定期的に魔物を討伐しているからなだけである。
「ありがとうございます。神もお歓びでしょう」
俺はそう言って長年に渡って使用してきたスキル「偽善者の笑み」を発動した。
「神父様~!」
貢ぎ物を腕いっぱいに抱えながら歩いていると、俺を呼ぶ声がした。振り返ると、ナターシャという町娘が居た。
ふわふわとした銀色の髪と、透き通るような白い肌から、「森の聖女」と呼ばれている娘だ。
彼女の家は森の中にあり、そこで作物を作って暮らしている。
そう、作物を育てられるのだ、この廃れた土地で。しかも、魔物に襲われることもなく。普通はそんな事、出来るわけがない。
彼女には恐らく、「神力」がある。神力があれば、土地を浄化する事が可能だからだ。どこからやって来た少女なのかは、未だ分からないし、用心するに越した事はないのだが、どうも頭が弱いところがある。それが演技なのか、素なのかは不明だ。
「昨日という日も無事に生きる事ができました。これも神の御心なのですね!」
「ええ、そうですね」
そして筋金入りの信奉者なのだった。
俺は彼女の一挙一動に気を付けながら、昼食をともにした。
今のところ、彼女がこの町に害を及ぼす素振りはない。
俺は別に彼女が神力を使う所を見たことがあるわけではない。作物を持ってくるから、周りがそう讃えているだけで、神力が無くても汚染されていない土地であれば作物は育つし、どこかから作物を調達しているだけの可能性もある。その場合、彼女は我々の脅威となるのか、しっかり見極めなければならない。もし、これが人間に化けたモンスターであるなら、かなりの強者なのは間違いないのだ。ただの人間だとしても、森で住んでいると言うのが本当なら、同じことだ。今の神殿は、結界もないので、モンスターだろうが魔王だろうが問題なく出入りできる。神殿にいるからと言って、モンスターでないとは言えないのだ。
「そう言えば、森に新しい人がやって来ました」ナターシャがパンにバターを塗りながら言った。このパンに使われている小麦も、彼女が育てたものである。
森にはつねに新しい人が出たり入ったりしているので、恐らく旅人が来たとかそういう意味ではないのだろう。
「それは・・・住人と言う意味ですか?」
「はい、湖のほとりに・・・。女の人です」
森の中に住む女か。やはり同じように神力があるのだろうか。やっかいだが、農業従事者が増えるのはありがたい。
「魔女だと名乗っていました」
「ま・・・魔女」
魔女の定義は、曖昧である。しかし一般には、薬草学を極めた人間とされることが多い。森に住めるという事は、かなりの強者と考えてよさそうだ。あまり関わりたくないが、近くに来たからには動向を探らねばならない。
(それに「魔女」なら、薬を卸してくれるかも知れないしな)
色々と手遅れになる前にと、急いで昼食を喉に流し込み、その足で森へ向かった。
* * *
広大な魔王城の森に、俺は足を踏み入れた。
出会った高レベルモンスターを次々と薙ぎ払いながら進んでいく。
目指すのは湖のほとりの「魔女の家」である。
「魔女、ね」
普段、薬は冒険者に採集してもらった薬草を、手すがらに製薬している。しかしその手間はばかにならない。いっそ魔女ごと雇ってやろうというくらいには俺はこの来訪を歓迎していた。
わざわざ魔王城の近くに越してくるのだから、よほど力に覚えがあるのだろう。
俺は用心しながら進んだ。
魔女とは、薬草学に特化した女性を指す。魔力はあったりなかったり。隠しているだけかも知れないが。魔法使いとは違うらしいし、大学機関の研究者とも違う、何か独自の秘術を用いるとも言う。
(接触は避けよう。今日は確認と観察だけだ)
しばらくすると、湖のほとりに出る。森の中の湖と言うと、恐らくここが一番大きいはずだ。
辺りを見渡すが、家らしきものはない。
(ナターシャの勘違いか、別の場所か?)
俺は気をつけながら進み、そして――。
「何者です!」
突如目の前に現れた女性に、剣を突きつけられた。
(どこから現れた?)
この女は、俺より#上手__うわて__#かもしれない。
その可能性も当然考えての行動ではあったが、目が冴えるような感覚があった。
女は矛を手に、驚いたような表情を浮かべている。漆黒の長い髪は、なるほど魔女のようだと思わないでもなかった。
想像していたよりずっと若い。エルフかと思ったが違う。荷物を持っていないので、おそらく彼女が魔女で間違いないだろう。休憩中の冒険者という可能性もあるが、冒険者はたいてい神殿で薬草を買うので顔は覚えている。肩がこわばり、緊張しているらしい。
俺は彼女を刺激しないように、温かな口調で言った。
「初めまして。私はクロス。ケソアッソーリの神官です」
返事がない。彼女はいまだ、俺の顔を見て茫然としたままだ。
「あなたが引っ越したことを聞いて、ご挨拶に」
「挨拶?」はっとしたように彼女が答えた。
「もしよろしければ、あなたの事を少し教えていただけませんか? 危害を加えるつもりはありません。私一人でやって来ました」
彼女はすっと矛を下ろす。警戒は解いてもらえたようだ。
「クロス様。失礼な行動をお詫びいたします。私の名はアデリア。この森に住むこととなりました、魔女でございます」
まさかのカーテシーをする魔女。その姿はどこかの貴族令嬢かと思うほど様になっていた。とても礼儀正しい。正しすぎる。こんなにあっさり行くとは思っていなかった。
「まさかあなた様だとは思わなかったものですから」
彼女はそう言葉を続けた。
「私のことをご存知でしたか」
「勿論。クロス神父は私の最大の推し…じゃなくて、お得意様になりそうでしたので」
しかも、商売の話題まで向こうから振ってくるという又とない好機。
俺は営業スマイルで返事をした。
「それはありがたい。どうかこれから、よろしくお願いしますね」
その笑顔が彼女のハートを射抜いていたとは、この時は露ほども分からなかった。
* * *
「神父様!」
あれから彼女は、事あるごとに神殿を訪れる。
ナターシャといい、門は誰にでも開かれているとは言え、うちは休憩所ではないのだが。
彼女の作る薬はかなり良質だった。俺もそこまで不器用ではないが、こんなに物知りで聡明な女性はめったにいない。どんな薬の知識も頭に入っており、その手際も完璧だ。だから気つけや毒消しなど、戦闘や日常生活に使えそうなものは一通り揃えてみた。
「これは惚れ薬でございます」
「さすがにそれは神殿には不要ですねえ」
「あら、神父様が個人的にお買い求めになっても宜しいんですのよ」
そう言ってころころと笑うアデリア。
「それに、神父様は眉目秀麗でいらっしゃいますから、口にするものにはお気を付け下さいませ」
「ははは、ご冗談を」
彼女の差し出すものを一通り吟味してみる。と言ってもひとつひとつ舐めて回る訳にもいかないので、半分は客が飲んでみてのお楽しみだ。
ほかの人にも話を聞いてみたが、魔女の市民からの印象はあまり良くないらしい。何でも、挨拶代わりに腐った牛乳を配ったり、窓から部屋を覗き込んだりしていると言うのだ。
(もしかしたら、「悪い魔女」のほうなのかも知れないな)
今見た薬におかしいところは見当たらない。それにせっかく人手があるのに使わないのも惜しい。それでも念のため、納品された薬は冒険者にだけ売り、町民には自分で作った薬を売ろうと思った。
「それと毒消しなのですが、材料を集めてからになりますので今しばらく時間がかかります」
「では私も手伝いましょう」
毒消しの材料となるシアル草なら、ダンジョン中層で手に入る。わざわざ冒険者に頼むほどのものではない。
「慣れない土地でしょうし、群生地を紹介しますよ」
「まあ! デートというわけですね。嬉しいですわ」
彼女の実力を見極めるいい機会だったので、デートでも何でもいい。俺はハハハと笑って返しておいた。
* * *
アデリアは、強かった。
見たこともない範囲攻撃を使い、俺が五回くらい攻撃しなければ倒せないダンジョンモンスターをいともたやすく屠る。戦えば負けるかもしれないと思った。ぶるりと震える。
途中、「この頬肉が美味しいんです」とか、「この鱗が使えるんです」という説明を受けながら我々は進んでいった。何に使うのかは聞かないでおこう。
「まあ、このクリスタルは」
アデリアが、とあるクリスタルの前で立ち止まった。
「このクリスタルがどうかしたのですか」
「とても純度が高いわ。このクリスタルの価値を知る者は、この辺りにいないのかしら?」
アデリアは這いつくばって、クリスタルの結晶をしげしげと眺める。この女は、本当にこういったものが好きなのだろう。
「こんな純度の高いクリスタルならば、『透明化薬』が作れるでしょう」
「ほう。透明化薬が」
伝説に聞いたことはあるが、どの本にも載っていなかった。魔女がどうやってその作り方を知ったのか分からないが、彼女の言うことなので、信用しても良いだろうと思えた。
「はい。このクリスタルに、豚の生き血、そして羊の毛、あとはモリアッジェの皮とガラスの欠片とサンチェの鱗を粉にするのですわ」
「割と簡単ですね」
「作り方が難しいのですわ」
ふふふと笑って答えるアデリア。このくらいなら教えてもいいと思ったか、でっち上げである可能性もあったが、帰ったら俺も試してみようと思った。
「ここがシアル草の群生地です」
毒消しの薬草は、毒に強い植物から作る。おのずと群生するのは、毒に汚染された場所になりがちだ。あまり来たいと思う場所ではないし、さっさと採集して帰ろう。
「まぁ、こんなにたくさん生えているのを見たのは初めてですわ。このダンジョンは素材の宝庫ですね」
目をきらきらさせて、アデリアが言う。片手には血みどろの、剥いだばかりの毛皮を持っているが。
「気を付けて下さい。マジェの草もいっしょに生えていますから。ご存知だとは思いますが、裏側が紫のほうがマジェの葉です。聞いてます?」
はっとした顔で、アデリアが答える。
「す、すみません。少々、緊張してしまって。そういえば、あなたと二人きりだったので」
そのとき、自分の背筋が凍るのが分かった。
彼女は薬を作れる。売れる。
俺がいなくなれば、彼女はこの町で唯一の薬師になれる。
しかもここは洞窟のなか。神力も使えない神官など、彼女にはひとひねりだろう。
「ふふふ、そういえばそうですね。私を始末するなら、今がチャンスですよ」
思わず声が、震える。
(もしかしたら、同業者の出現で浮かれていたのかもしれない)
油断はならない。ダンジョンから出られるまで、彼女から目を離してはならない。
彼女は丁寧に薬箱に薬草をしまうと、じりじりと詰め寄ってきた。背後は壁。人形のような顔が目と鼻の先まで来る。胸を押し当てられながらアメジストブルーの瞳に射抜かれ、身動きがとれない。緊張で汗がつたった。
「まあ、想像力たくましいですこと」
俺の手を取りクスクスと笑う様子は、さすがに魔女だった。
結局、緊張していたのは、俺のほうだったと言う落ちだ。
* * *
ナターシャが、ここのところ顔を出さない。
急に寒くなったので、体調でも崩したのだろうか。
ナターシャがどうなろうと俺はかまわないが、彼女は村の大切な食糧源(の生産者)だ。かと言って見舞いに行こうにも、森の中では普通の人間はおいそれと見に行くこともできない。
「…だから、ね? 神父様。頼むよ。ほかの男じゃ、信用出来ないからさ」
村の食堂の店主が長い髪をたなびかせながらそう言って、俺に見舞いに行くように頼んできた。俺が護衛するのでいっしょに来るかと聞いたが、聞いただけでぶるってしまった。狼男のくせに、どうしてこう臆病なのか。
村の人々の見舞い品を持って、ナターシャの家まで歩く。
森の中に小さな小屋と井戸があり、なるほど畑には幾つかの作物が生えている。何の野菜なのか、俺にはあまり分からないが。
ナターシャの姿はない。小屋をノックしてみる。
「ナターシャ。私です。神官です」
返事がない。どこかに遠出しているのだろうか。もしかしたら、入れ違いになったという可能性もある。厩もなく、手掛かりになるようなものはない。まあ、女性の一人暮らしの家に厩があるはずがないが。
すると、物音がして、ドアが開いた。
ああ、やはり、顔が赤く、のぼせている。
「体調が悪いのですか?」
「ううう、ずみ゛ま゛ぜん…。温泉を掘り当てたので、調子に乗って長湯したら風邪を引いてしまって」
何ともナターシャらしい理由である。
「入りますよ」
「えっ」
彼女の静止を聞き流しながら、小屋に入る。
隙間風だらけの、粗末な小屋だ。確か狩人が建てたと言っていたか。服や食器が散乱している。
「例の狩人は今どちらに?」
「ええと…、彼は死にました」
「死んだ? 彼が?」
「その…色々あって」
彼女がもごもごと濁す。病人から色々問い質す訳にもいかない。今はとにかく休んでもらおう。
「寝ていて下さい。何か作りましょう」
「え。そんな…」
「大丈夫、任せてください。手先は器用なんです。あなたは(村にとって)大事な人なんですから」
「ふえぇ…!?」
卵粥に、ミルクスープに、薬草を幾つか。あとはお見舞いにもらったお菓子をナターシャに食べさせた。
「今夜は外のサイロで休みます。何かあったら呼んでください」
「神父様」
「何でしょう」
「あ…ありがとうございます」
彼女の顔はまだ熱を帯びているようだ。俺はナターシャの頬に手を触れ、熱いことを確認した。ほうっと熱に浮かされた表情をするナターシャ。
「ほんとうに…罪作りな人ですね」
「私が? 神のしもべである私が罪を犯す訳がないでしょう。変な人ですね」
きっと、熱に浮かされて意味不明な言葉を口走ったのだろう。彼女は困ったように笑い、眠りに落ちた。こうして見れば、彼女は町娘らしからぬ美貌の持ち主と気付くことができる。雪のように白い肌と髪、ぷっくりと形よく血色のある唇は、どんな男も虜にするに違いない。
無論俺は違うし、貧乏農家の家に長居する趣味はない。彼女の美しい顔から視線を上げ、ひとつため息をついた。
「ったく、なんで俺がこんなこと…」
とぼやきつつ、村の生命線のために、狭い納屋生活がその後2日も続いたのだった。
それから数日。村の寒さも本格的になってきた。
俺はと言うと、アデリア対策の術をあれこれ考えて、寝不足の日々を送っている。
「きゃっ」
買い出しを終え、神殿に向かう階段を登りかけた時、その声は聞こえた。
見ると、ナターシャがこちらへ降ってくる。
よけるわけにもいかないので、俺はあわてて受け止める。ふわりと、なびく髪から甘い香りがした。
ナターシャがドジと言うのは周知の事実だが、ここまでドジとは。
「大丈夫ですか?」
「し、神父様、ありがとうございます…」
俺の腕の中で顔を真っ赤にし、小鹿のように震えるナターシャが言った。
「気を付けて下さいね、ここの階段は急ですから。打ち所が悪ければ、このまま神の身許へ旅立つところでしたよ」
「後ろから、誰かに押されて…」
それを聞いた瞬間、俺ははっとして上を見上げた。
反射的に黒い髪の女を探す。
だが、そこには誰もいなかった。それでも、何者かの鋭い視線を感じる。
気のせいであれば良いのだが。
――場所は移り、ここは魔王城。
すらりと背の高く、美しい女が入ってくる。
黒のドレスに真っ赤な唇、誰が見ても市井の女ではなさそうだった。
「魔王様」
腹心の部下アフルが報告する。
「お嬢様――アデリア様の居場所を掴みました」
「ほう、良くやった」
「どうやら城下の森に住み付いているようです」
魔王――いや、女王は、手に持っている林檎をぐしゃりと潰す。
「アデリア…。私から『魔法の鏡』を隠した挙句、この地位まで奪おうと言うのか? それで、ナターシャの動向は」
「森で野菜などを育てているようです。聖なる力のせいで、それ以上のことは何も」
「フフフ…。アフル、急げ。アデリアから『魔法の鏡』を奪い返すのだ。そうすればナターシャと私の戦いの幕も引かれよう。」
「はっ」
アフルがいなくなった後、誰もいない城で女が叫ぶ。
「アデリアといい、ナターシャと言い、なぜいつも私の邪魔をする? 奴らなど、魔物に食われてしまえばいい。豚の臓物を、あの子のものと偽った、あの狩人のようにな。この世で美しく、力のある女は、私だけで良いのだ。アーッハッハッハッ・・・・」
* * *
五日前から続いている雨は、今日も性懲りもなく降り続いている。
クロスは客足の絶えた神殿でひとり、つい先日のアデリアの家でのことを思い返していた。
ナターシャの看病生活から数週間。今度はアデリアが神殿に顔を出さなくなった。
魔女が野垂れ死のうがクロスには関係のない事だったが、作ると言われていた薬が来ないのは心配だ。こちらの行動も変わってくる。
「まったく…また看病生活なんてのは御免だからな」
そう独りごちはしたが、そういえば花が好きだったな、行きがけに見舞いでも摘んで行くかなどと考え、自然と頬が緩んでいた。
天気は鬱々としており、今にも泣きだしそうな空だった。森の中は夜中と見まごうほどに暗い。だが、外で仕事ができないほどではない。クロスは足早に彼女のもとへ向かった。
魔女の家が近付いてくると、楽しそうな女の嬌声が聞こえてきた。
(まさか、魔女のものか?)
恐る恐る近づくと、一組の男女が水辺で戯れている。
抱き合って、ダンスを踊っているようにも見えるが、それにしては激しく、なりふり構わぬといった感じだ。
声の主は、アデリアで間違いないようだった。背をのけぞらせ、淫らにドレスを着崩し、男にもたれている。
もう一人の男は、貴族のような服を着ていた。貴族か、使用人かは分からないが、アデリアの知り合いなのだろうか。
(いや、知り合いどころではない。もっと親密な)
そこまで考えていると、男が口を開いた。
「僕の可愛いアデリア。ねえ、今日は泊まらせてくれ。いいだろう?」
クロスはどきりとして、その場に身を隠す。
男は彼女の頬に口を近づける。彼女はくすぐったいというように笑う。
クロスは、自分がここにいる必要はないように思えてきた。だが、本能的に男の正体が気になり、動けずにいた。
(人が心配してやったのに、男とお楽しみだったのか)
クロスは、自分で気付かないうちに怒りを覚えていた。この土地には一人で来て、自分が一番互角に渡り合える相手であるように解釈していたのだが、それは大きな間違いだった。それに気付くと、きゅうに顔が熱くなり、自分にいら立った。
「あなたの願いなら、何でも聞くわ、アフル」
「本当に? じゃあ、あの鏡をくれる?」
「もちろんよ。鏡も、私も、あなたのものだわ」
アデリアは、聞いたこともないような艶めかしい声色で男に愛を囁いている。
その姿を見て、クロスの心に痛みが走った。
(ここにいると知られたら、彼女はどんな顔をするだろうか)
羞恥で照れるか、弱みに握られたと青くなるだろうか。それとも、邪魔をするなと怒るのか。なんだか、今すぐ出て行って、雰囲気をぶち壊してやりたいような気持ちにもなってきた。
(帰ろう。ここにいる理由はない。奴らに気を掛ける必要も。もうこの場にいられない)
クロスは、物音を立てぬように慎重に、けれども急いで重い腰を上げた。二人の笑い声をふり払うように、やるせない気持ちで神殿へと戻ってきた。
雨はすぐに降り始め、それから数日、雨はまだ降り続いている。
クロスは、冷め切ったうすい紅茶を口に含み、ため息を漏らした。
(アデリアに敵う人間は、俺くらいだと思っていた)
とんだ思い上がりをしていた自分を、殴りたい気持ちだった。
薬草の話も、戦いの話も、冒険者でも、ナターシャでも、物足りなく感じていた。彼女は、俺と似た者のような感じがし、勝手にライバル視していたように思う。
(もっと、薬の話を聞きたかった。もっと戦いの話をしたかった。男がいるとなると、それも難しいか)
ハァと溜め息をつき、なにか、心に穴を開けられたように、数日は上の空だった。
――魔女ごときに。そう思っても、天気のせいか、憂鬱な気分が晴れなかった。
いっそ、神官をやめて、もっと面白い冒険でもしようかと考えるくらいには。
「奴」がやって来たのは、日も落ち切った、しんと冷える夜半だった。
ベルの音で聖堂に向かうと、そこに、例の男が立っている。
「いやあ、凄い雨だな。ここは雨宿りもさせてくれるのか?」
貴族のような上品な服。落ちくぼんだ目。うろんげな瞳。雨に困った言いながら、微塵も濡れた様子もなく、生気のない男だった。
(これが魔女の相手か。闇の者同士、お似合いだな)自分のことを棚に上げ、クロスはそう考えた。
「神殿に御用でしたら、いつでも歓迎しますよ。但し、日中に限りますが?」
つとめて穏やかにクロスが言うと、わずかに張り詰めた空気が漂った。
奴はふと笑った。
「何、神などに興味はない。私が用があるのは、あんただよ、神官」
「私ですか。こんな夜中でないと話せない内容なのですかね」
「きみにいい仕事がある。なに、簡単なことだ」
男の口が、ニイと不気味に笑った。クロスはそれを受け戸惑いながらも、不敵な笑みを返してやった。
――転職するなら、今だと思ったのだ。
* * *
私が大きな間違いを犯したことに気付いたのは、薬が切れた三日後だった。
(大変だわ、大変だわ、大変だわ)
取る物も取り敢えず、ただひたすらに神殿へ急ぐ。
ノックもせずにドアを開ければ、そこには見覚えのある人が居た。
「おや、もう愛しのボーイフレンドは帰ったんですか?」
「わ、わ、わ、わたくし、わたくし…操られていたんです!」
「操られていた?」
「鏡を…鏡を奪われて…!!このままでは、ゲームが始まってしまう!」
私は彼の胸倉を掴み、わなわなと震えた。
「落ち着いて下さい」
神父様は、興奮しきった私の肩に手を置き、懺悔室に案内した。
神父様に会えたことですこし冷静さを取り戻すと、自分がどれほどみすぼらしい格好をしているかに気が付いた。
ドレスはほとんど面積がないし、髪も情事の後のようにぼさぼさである。きゅうに居たたまれなくなってしまったが、神父様はもう私の目の前に座ってしまっていた。
どうか、お化粧だけは崩れていませんようにと願った。
(こんな時にまで、私はお化粧の心配をしているなんて――私ってほんとうにだめだわ)
「それで、ゲームとは?」
「はい。神父様は――転生を信じますか?」
「…転生? まさか、異教への勧誘ですか?」
「ふふふ、違います」
私はすべてを彼に話した。
私が転生者であること、ナターシャとして何度も人生を体験した事があること。
そして先日、女王の部下アフルに薬を飲まされ、『魔法の鏡』を奪われてしまったこと。
「『魔法の鏡』は、知りたいことなら何でも教えてくれるのです」
「それを魔王――いや、女王が手にすると、どうなるのです?」
こめかみを指で押さえた神父様が訊いた。
「『この世で一番美しい者』として、鏡はナターシャの名前を挙げ、女王はそれに嫉妬して、ナターシャに毒を盛るのです」
「それだけ? 世界の滅亡が早まるとかではないのですか」
「逆です。毒で眠ったナターシャを通りがかった隣国の王子が救い、そこから戦争になります。そして魔王は討伐され、世界は平和を取り戻し――娘の私は処刑される」
そのとき、外から怒号がした。
「探せ! ここに逃げ込んだはずだ。魔女アデリアを捕らえろ! それから――神父クロスを!」
* * *
「こっちだ」
俺は彼女の手を引いて、地下の調剤室へ立てこもる。
彼女は動転していて、話を聞ける様子じゃなかった。
「どうして、どうして!? ――どうしてあなたまで追われているの!?」
「そりゃ、ナターシャに毒林檎を届けたのは私ですから」
「何ですって!?」
「落ち着いて。何も殺すつもりだったわけではありません。渡された林檎に何か仕込まれているのは分かりましたが、彼女には神力がある。ほとんどの毒は無効ですよ。私は貰うものだけ貰ってトンズラするつもりでした」
「そんな、無理だわ、あなたは殺される。どうして? だって、フラグは全て立てたはずなのに…」
「フラグ?」
「だって――看病したでしょう? ナターシャを!」
「ああ、しましたね」
「それから――階段からつき落とされて――ナターシャを受け止めたわよね!?」
「ありましたね、そんなことが」
「イベントをこなしたんだから、神官ルートに入ったんじゃないの!? なのに、なぜこんな…」
彼女の話をまとめると、どうやら俺がナターシャ――どうやら、彼女は女王に殺された前国王の娘、つまりお姫様だったらしい――に毒を盛って処刑されるのはお決まりのパターンだが、俺とナターシャが恋仲になっている場合だけは別らしい。――その場合は俺は仕事を断り、仕方なくアフルが老婆に化け、ナターシャに林檎を渡すと言うのだが、だったら最初からそうしろよと思わないでもない――俺とナターシャを恋人にするには仲を深めるのが一番と、アデリアはわざと俺の前に彼女を突き落としたと言うのだ。それは、アデリアがナターシャとして生きていたときにも、新女王の娘としてのアデリアがやっていた事らしい。
「突き落とすとどうして仲が深まるんでしょうか」
「手当てとか致しますでしょう? 私という共通の敵を持つことで、仲間意識と同時に恋心が芽生えるのですわ」
「そういうもんですかね」
「そういうもんですわ!」彼女がうっとりした目で言う。
「ああ、こんな事なら、あなたをひと目見るためだけに、ケソアッソーリに来なければよかった。鏡を持って、遠くに逃げれば良かったのよ。そのせいで、ゲームを進め、あなたを危険に晒してしまった。私はバカだわ」
アデリアのまっすぐな瞳から、大粒の涙が伝う。
ああ、もう、まったく。そんな顔をするなよ。俺がバカみたいじゃないか。
「――ああ。あんたはバカだ。大バカだよ」
俺の暴言に、アデリアがはっとした顔で俺を見た。
「何で、俺なんかのために、そんなバカな事をするんだ」
「神父様…ずっとお慕いしていました。ナターシャでいた頃から、ずっと貴男だけを。母上に襲われると分かっていても、あなたに一目お会いしたかった…欲にまみれた私を、神はお許しにならないでしょう」
「神などいない。いるものか」
俺は思っていた事をぶちまけた。言葉がとまらなかった。
「そもそも、俺の気持ちをどうこうできると考えてる時点でバカだ。俺は自分の事しか考えてないクソ野郎だ。俺なんかのために何かをするなんて、とんだ間抜けだ。愛だの恋だの、ばかばかしい。それに、薬を飲まされたんだか知らないが、あの男とお楽しみだったじゃないか。舌の根の乾かぬうちに、今度は俺に鞍替えか、この魔女め」
言っていて、自分でもこれは嫉妬だと分かった。分かっても、口から出てきてしまった。彼女の気持ちに触れ、俺の隠していた気持ちまで、掘り返される気分だった。
「違います! あのとき――奴は、あ…あなたの姿で現れたから…油断したのです」
俺は口をつぐみ、唾を飲み込む。頬を染めながらそう言うアデリアを見て、俺は安堵した。そんな気持ちを悟られぬようかぶりを振る。
深い意味はない。断じてこの感情に深い意味はない。
俺はそう言い聞かせ、はずむ鼓動と息を整えた。
「――この場所が見つかるのは、時間の問題だ」
「神父様。どうか、私を殺してください」
「は?」
「あなたは、私に脅されたと証言するのです。私の首があれば、酌量があるに違いありません。私は、処刑されるくらいなら――あなたの手に掛かりたい」
アデリアの冷たい手が、俺の手を握る。
俺はどうしたものかと迷ったが、ふうと息を吐き、その手を握り返した。
「そんなに死にたいなら、消えてしまえばいい」
冷たい俺の声に、彼女の青い顔はさらに青くなった。
* * *
――ずっと、透明人間みたいだと思っていた。
孤児院でも、幾つか転々としたギルドでも、俺は居ても居なくてもいい存在だった。
誰にでも愛想が良く、当たり障りのない会話をしてやり過ごしてきた。それでも隠れて、勉強と修行に明け暮れた。
――世界から、「お前など要らない」と言われている気がしたから。
生きることと、修行をすることは、繋がっているようで、別物だった。「生きている」俺には、何もなく、いくら強いモンスターを屠れるようになっても、目立った働きをして面倒事が増えることは避けた。
近づいてくる女はいた。良いと思う女もいた。でも皆、自然消滅したり、よしんば深い仲になっても、俺の本性を知れば怒って去っていった。俺は、当たり障りのない人間だから。
だから、神官になった。
一生ヘラヘラしながら、裏で何をしようがかまわない仕事。
口では神の存在を説きながら、その実は最低なペテン師。
神官の暮らしは悪くなかった。
変わらない人々。お決まりの台詞。
それでもやっぱり、空しさはあった。
自分は一人なのだという空しさが。
「――私は知っています。あなたが孤児院を転々としてきたことも…友をみな魔物に襲われて亡くしたことも」
「――それは、ナターシャである貴女に俺が話したのですか?」
「一部はそうです。他は、人物紹介に書いてありました」
「――……なるほど。納得した…と言う事にします」
調剤室にあった『透明化薬』を飲み、二人は無事に神殿を脱出することに成功した。
あれはまだ開発途中だったが、上手く働いて良かった。
「それにしても、さすがですわ。私は透明化薬を作る際の注意点など、何もお伝えしていないのに」
「クリスタルの特性を考えて、色々試していたのですよ。もしもあなたが牙を向けてきたら、と思って色々対策を練っていたんですがね」
「まぁ、そんなに気に掛けて下さっていたなんて、光栄だわ!」
「…」
村の喧騒は、すでに聞こえないくらい遠くになっていた。このまま行けば、隣国との国境に出る。その後のことはまだ、決めていない。
「これから、どうしましょう」
アデリアが聞いた。
それを俺に聞くのか?
「そのことだが――」
俺が口を開こうとした瞬間、どこからか斬撃が飛んできた。
「神父様!」
咄嗟に避けると、そこには例の紳士が立っていた。
「酷い、酷いじゃないか、アデリア。僕に囁いた愛の言葉は、嘘だったのかい? そんな馬の骨と駆け落ちだなんて…死んだ母君も許さないだろう」
「アフル…それはこちらの台詞よ。神父様に化けて、私に惚れ薬を飲ませるなんて、なんて卑怯なの。私はお母様も、あなたも嫌いだわ。二度と姿を見せないで頂戴」
アフルの眉が、哀れなほどに下がった。そして、俺を睨みつける。
「――始末できると思ったのに」
「残念だったな。生憎、悪人って言うのはしぶとい生き物なのさ」
「まあ、良い。死ね!」
言うと同時に、何十というダガーが俺に飛んでくる。風魔法でそれを防ぐと、アデリアが闇魔法で彼の動きを封じた。
「今です、神父様!」
俺は素早く彼の喉を掻き切った。奴は苦しみの声を上げ、それから1本の老木となり、そこに佇んだ。
「何だ、これは?」
「彼は木の化身なのです。お母様の魔法で動いていたのですが…お母様なき今、二度と動くことはないでしょう」
「そうか」
「それにしても、私たち、息ピッタリでしたわね!」
屈託のない――ように見えて、裏のありそうな笑顔で彼女が振り返る。
やはり、俺に言わせる気だな。
「あー、その…なんだ、つまり…」
彼女が俺の言葉を待っている。
「――契約しないか?」
「契約、ですか?」
「冒険者としてあんたを雇う。俺はあんたに協力する。つまり、協定だ」
「ふふふ、協定ですね、今はそれで我慢しましょう」
妖艶な微笑みで、魔女は笑った。今にも箒にまたがって、「揶揄ってみただけよ」と気まぐれに飛んで行ってしまいそうだと思った。
そして、それを恐れる自分がいることも分かっている。
俺は自嘲するように笑い、彼女に近づいた。
「次の街に着いたら、また腐った牛乳を配るのか?」
「なっ…あ、あれは、失敗しただけです! まさか腐っていると思わなくて…」
「相当強烈な挨拶だったぞ」
俺はいたずらっぽく笑う。
「私は…私は、この世界ではずっと『悪役』の星の下なのです。不思議な力が働いて、新鮮な牛乳もたちまち腐ってしまうのです」
アデリアが歩みを止める。
「だからきっと、これからも、私といると…悪役にされてしまいます。それでも――良いですか?」
唇をきゅっと結んで、アデリアが訊いた。また、涙を流しそうな顔である。
「泣くなよ」
「え?」
「あんたはただ、笑っていれば良い。魔女らしくな」
彼女の目元を指でなぞる。
「ま…魔女らしく?」
「あんたと俺で、悪に染まって生きようじゃないか」
そんな人生、最高じゃないか?
俺がにやりと笑えば、彼女も不敵に笑う。
「――ほんと、好き」
――俺もだよ、悪役令嬢。
透明でもいい。あんたが色をくれるなら。
―――
こうして魔女と闇に染まった神父は、真っ暗な森の中へと消えて行きました。
その後、どこかの遠い国で、新しい魔王が誕生したとのことですが――王子とナターシャには、関係のないことです。
めでたし、めでたし。
*おしまい*